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自治体の皆さまへ

【新春対談】スポーツのまちへ(1)

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神奈川県厚木市

市では、市民の皆さんのスポーツ活動を応援するため、イベント開催や大会の誘致、施設整備など、「スポーツの聖地づくり」に力を注いでいます。今回は、幼少期を市内で過ごし、長年スポーツ振興に貢献された原辰徳さんを迎え、厚木の思い出やスポーツの魅力などを語り合いました。

厚木市長 山口 貴裕
「憧れや誇りを抱ける厚木に」

前読売巨人軍監督 原 辰徳
「うまい下手ではなくいい仲間ができる」

市長:新年明けましておめでとうございます。市民の皆様におかれましては、輝かしい新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。今回は、長年にわたりプロ野球の選手・監督として活躍し、厚木市にゆかりがある原辰徳さんをお招きし、お話を伺いたいと思います。

◆厚木の思い出
市長:原さんは、幼少期を市内で過ごされたんですよね。
原さん:生まれは福岡県大牟田市で、私が小学2年生に上がる前の春休みに緑ケ丘に来て、中学1年生までいました。今日も市役所に入った時、皆さんが「お帰りなさい」と言ってくれてありがたいなと思いました。
市長:厚木での思い出はありますか。
原さん:模型が好きだったので模型屋さんがあったとか、父とハヤを釣りに相模川に行ったとか、そういう思い出はすごくあります。あと、駅の近くには釣り堀やスケートリンクもありましたよね。私はとにかく野球が好きでね。市営球場は、厚木市民の中では東京ドームですよね。あそこで小学5年生ぐらいの時、ホームランを打ったのはすごく覚えてます。隣のプールにもよく行きました。
市長:今も少年野球の子どもたちがプレーしています。原さんの中で厚木はどんなまちですか。
原さん:少年ではあったけれども、一番影響を受けたというか、野球や勉強、友達も分かってきたのがこの厚木。大人とまでは言わないにしても自分の世界が広がったという点では、厚木というまちは私の原点です。

◆スポーツの魅力
市長:原さんが野球を始めたきっかけは何ですか。
原さん:物心ついたときには父が高校野球の監督をやっていて、母と一緒に、よく試合を見に行きました。当時の厳しい指導を見ても嫌とは思わなかったんですよね。野球が好きなんだと思ったのはそこからです。その後、厚木に来て少年野球チームがあると知り、始めました。そこで出会った友達は今でも付き合ってます。
市長:高みを目指すため、人より多くの練習をしたのですか。
原さん:体の奥底から汗を出したというのは高校からでした。追い込んだ練習はしましたが、野球が好きなので苦には思わないんですね。耐えたとか、嫌々やってるという意識がなくて。高校、大学とレベルが上がれば、自分よりも優れている人がいると感じるわけですね。目の前にライバルや目標となるプレーがあり全く飽きなかったです。
市長:刺激を受けて自分を磨き、レベルを高めたのですね。
原さん:そうですね。スポーツの良さはいい仲間と出会うこと。どのスポーツもそうだと思いますが、うまい、下手は関係なく、やっぱりいい仲間ができますよね。野球というスポーツに出合い、好きになり、やってきたのは非常に良かったと思います。
市長:私もスポーツを通じた仲間づくりは魅力の一つだと思います。スポーツだけではなく社会も同じですね。仲間づくりに大事なことは何だと思いますか。
原さん:人に優しくすることです。縦の線と、横の線がつながればすごく大きなものになり、いい仲間や友達になると思います。大学では、スポーツだけではなく文化や芸術などを志す人たちとも関われ、いい勉強になったなと思いますね。市長も若くしてリーダーになるのは大変なことだと思いますが、自分の中で思いはあったのですか。
市長:小さい頃からあったわけではありません。地域に根差した団体活動をしながら、周りの人と意見交換やまちづくりを見る中で、そういう気持ちが少しずつ芽生えてきました。これまでの経験を「あつぎ愛」に変え、市政にぶつけ、誇りある厚木をつくっていきたいです。
原さん:「あつぎ愛」ですか。大事なことだと思います。
市長:リーダーとして大切なことは、勇気と努力、決断力、そしてタイミングだと思います。夢を語ることも必要です。夢に向かい市民の皆様、職員の皆さんと共に汗をかき、共感してもらうことが大事だと思っています。原さんはリーダーとして意識していることはありますか。
原さん:いろいろなリーダーがありますが、監督として大事なのは、野球をよく知ること。それと決断力ですよね。正しい決断力が重要です。少々波風が立とうが、動じない心はそこに生まれてくると思います。監督になる前、ヘッドコーチを務めた3年間は非常に勉強になりました。ヘッドコーチは監督と選手の間、中間管理職です。監督と論議できる立場ですが、意見が食い違っても最後は監督の決定。それを選手に伝えるのですが、意見する選手もいます。その時「私もそう思ったんだけど」なんて言ったら組織は崩壊します。そういう意味で中間管理職は難しかったですが、その経験が監督として生きました。
市長:原さんは選手や監督としてのプレッシャーをどのようにはねのけてきましたか。
原さん:どの世界でも一生懸命やればプレッシャーは感じると思うんですよ。大きさは別にしても目的や挑戦、その二つを持つ人たちは絶対に緊張感があります。でも自分で求めてやっているわけですから、私はプレッシャーが嫌だとか重圧に負けるとかはなかったですね。挑戦している人たちはあって当たり前。立ち向かうためと思えばプレッシャーとも友達みたいな付き合い方ができると思います。
市長:原さんのお話にもありましたが、私も「一生懸命」を信条に歩んできました。それと、目的を持ち一つのところで努力し成し得る「一所懸命」も大事だと思います。

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