藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町の2市1町では、広報誌の相互掲載を行なっています。今回は「歴史」をテーマに、2市1町を紹介します。
■〔藤沢市〕徳川家康が宿泊した藤沢宿の御殿
東海道五十三次の6番目の宿場であった藤沢宿は、江の島道や大山道への分岐点として栄えました。
東海道の宿駅として藤沢宿が整備されたのは慶長6(1601)年のことですが、それ以前に徳川家康が宿泊施設として利用した「藤沢御殿」が現在の藤沢一丁目辺りに築かれました。記録によると、藤沢御殿の敷地は東西86間(約156m)、南北39間(約71m)の長方形で、周囲を水堀により囲まれており、慶長5年に徳川家康が宿泊して以降、2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の時代にわたり利用されていました。
現在は、「御殿」や御殿を管理するために配置された「陣屋」に由来する、御殿辺や陣屋小路などの地名、御殿橋や陣屋橋といった橋の名に、かつての名残をとどめています。
藤沢御殿跡を含む旧藤沢宿の一角には、「藤沢市ふじさわ宿交流館」があり、藤沢宿に関する歴史を学べる資料が展示されています。ぜひ訪れてみませんか。
問合せ:藤沢市広報シティプロモーション課
【電話】0466-25-1111【FAX】0466-24-5929
■〔茅ヶ崎市〕茅ヶ崎の映画史に名を残す茅ヶ崎館
明治時代から茅ヶ崎は9代目市川團十郎や川上音二郎をはじめとする文化人たちにより文化の街として賑わっていました。その中でも旅館・茅ヶ崎館は、昭和11(1936)年に映画配給会社の松竹撮影所が大船にできて以降、映画監督の小津安二郎をはじめ多くの監督や脚本家の創作場所として利用され、さまざまな映画人が訪れました。中でも小津は昭和12年に茅ヶ崎館を初めて訪れた際に、静かで宿泊客の生活習慣にすべて合わせる環境を気に入り昭和16年に始めた「戸田家の兄妹」の脚本執筆から茅ヶ崎館を使うようになりました。戦後の10年間は毎年1年の半分以上滞在していたそうです。小津は茅ヶ崎館でさまざまな脚本家との共同執筆により多くの名作を生みだし、中でも脚本家の野田高梧と手掛けた映画「晩春」で、短いセリフ回しやローアングルにこだわった「小津調」を確立したといわれています。
映画史に今も語りつがれる小津映画の魅力が生まれた茅ヶ崎館には、是枝裕和監督や西川美和監督など日本を代表する映画人が訪れるそうです。これからも、茅ヶ崎館ですてきな作品が生み出されていくのではないでしょうか。
問合せ:茅ヶ崎市広報シティプロモーション課
【電話】81-7123【FAX】87-6345
■〔寒川町〕国登録有形文化財旧広田医院
令和5年8月7日、寒川町で初めて、「旧広田医院主屋」と「旧広田医院門柱及び塀」が国登録有形文化財(建造物)に登録されました。
旧広田医院主屋は洋館付和風住宅で、平屋建和館部分は床の間・床脇・書院等格式のある座敷があり、伝統的な建築様式となっています。洋館の1階では、医院が営まれていた当時の大壁漆喰(おおかべしっくい)仕上げのエックス線室や薬局が、2階には洋風の縁廊下や上げ下げ窓、特徴的な和風の座敷が残っています。当時、都市近郊では和洋館を併設する建物が普及し始めていたこともあり、寒川における近代化の象徴ともいえる住宅でした。
昭和4(1929)年には、のちの初代寒川町長である広田孝基氏によって洋館・門柱・塀が増設され、その後、息子の広田孝平氏が洋館の改修等を行い、広田医院を開院しました。
11月18日(土)には、旧広田医院や寒川の近代について学ぶ「国登録有形文化財登録記念講演会」が南部文化福祉会館(【電話】75-0281)で開催されますので、この機会にチェックしてみてください(詳しくは同館へお問い合わせください)。
また、12月10日(日)には外観見学会を実施します。詳しくは、20ページをご覧ください。
※私有地になりますので、来訪はご遠慮ください。
問合せ:広報戦略課
【電話】内線251 広報プロモーション担当
【FAX】74-9141
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