これまでの整備と新たな発掘調査
御用米曲輪(ごようまいくるわ)とは、天守閣がある本丸の北側に位置する江戸時代の土塁などに囲われた平場で、戦後は野球場や臨時駐車場として利用されてきました。平成22年度から、国指定史跡としてふさわしい姿で保存・活用するため、継続的に調査・整備を実施しています。
江戸時代の絵図や整備に伴う発掘調査から、御用米曲輪には、江戸時代の蔵や戦国時代の庭園を伴う礎石(そせき)建物群が展開していたことが分かってきました。
そして今年度、新たな発掘調査を開始しました。そんな御用米曲輪の「いま」をお伝えします。
〈北西土塁の土層断面表示〉
・平成23年度発掘調査中
・令和4年度整備後
◆これまでの整備状況~解き明かされる歴史~
御用米曲輪については、江戸時代の絵図や発掘調査の結果を基に、北西・北東土塁の整備を実施してきました。
平成30年度には、北西土塁の整備が完了し、令和3年度には、北東土塁を復元し、土塁上には蔵跡を平面表示で表現しました。
令和4年度には、北西土塁の土層断面表示と曲輪内で発見された「瓦積塀(かわらづみべい)」を整備しました。土層断面表示では、北西土塁が時代と共にどのように構築されたのか分かるように表現しました。また、「瓦積塀」は江戸時代の構築物で、大変貴重であるため複製しました。調査で発見した遺構は、同じ位置の地中に保存されています。
〈瓦積塀〉
・平成24年度発掘調査中
・令和4年度整備後
◆今後の整備に向けて~戦国時代の姿に迫る~
平成22~27年度に実施した前回の発掘調査で、戦国時代の庭園を伴う礎石建物群が発見されました。これらの遺構は戦国大名小田原北条氏に関わるものと考えられ、全国的にも例のない貴重な遺構です。
そこで、令和4年度に「史跡小田原城跡御用米曲輪戦国期整備検討部会」を設け、どのように整備していくのか検討を始めました。そして今年度、戦国時代の礎石建物群が、御用米曲輪全体にどのように展開していたのかを確認するため、発掘調査を実施しました。
今回の調査では、石組(いしぐみ)水路、砂利敷(じゃりじき)遺構や玉石敷(たまいしじき)遺構を伴う建物跡などが発見されており、御用米曲輪の戦国時代の姿を解き明かす、重要なヒントとなる可能性があります。
※写真は本紙6ページをご覧ください
【WEB ID】P37385
問い合わせ:文化財課
【電話】0465-33-1718
<この記事についてアンケートにご協力ください。>