戦国時代最大ともいわれた小田原城とその城下は、昭和57年の御用米曲輪(ごようまいくるわ)から本格的に発掘調査が開始され、その数は今日までに600カ所を超えます。発掘によって、戦国時代の小田原城がどのように江戸時代に引き継がれてきたのかが明らかになりつつあります。
今回の特別展では、これまでに出土した豊富な遺物、堀や石垣の遺構写真などを展示し、発掘成果をお伝えします。
史跡 小田原城跡 御用米曲輪検出の切石敷(きりいししき)遺構
◆発掘調査から解き明かされる歴史
御用米曲輪は、江戸時代に幕府の米蔵があった場所ですが、戦国時代は北条氏政の壮大な居館(きょかん)であった可能性が高まってきました。三の丸ホールや小田原駅前のミナカ小田原、UMECO(うめこ)などでの発掘では、戦国時代の道路や井戸、江戸時代の堀や石垣などの遺構が、多くの陶磁器などと一緒に出土しています。掘ってみなければ分からなかった、小田原城とその城下の歴史が解き明かされてきました。本特別展では、小田原城関係の発掘調査による考古学的調査の成果を一堂に集め、小田原城とその城下の成り立ちや変遷について探っていきます。ぜひご来館ください。
◆小田原城天守閣館長に聞く!小田原城とその城下
小田原城は、小田原北条氏が本城とする、関東支配の拠点であり、戦国時代末期には、わが国最大の城郭に発展しました。江戸時代には幕府の西を守る重要な城として、天守に櫓(やぐら)と石垣、水堀という近世城郭に改変されます。そして、城下は、戦国時代では東国随一の都市であり、江戸時代は東海道の有数の宿場でした。小田原城とその城下は、中世から近世までの400年の歴史が延々と重層的に残された城郭遺跡であり、発掘から明らかになった全国有数の中近世都市遺跡なのです。
諏訪間 順(小田原城天守閣館長)
金箔(きんぱく)かわらけ
住吉堀の戦国期障子堀と近世石垣
鍋島焼
◆〈概要〉小田原城天守閣特別展「小田原城とその城下を掘る!」
期間:11月30日(土)~令和7年2月24日(休)
※休館日12月11日(水)・31日(火)
開館時間:午前9時~午後5時(最終入館午後4時30分)
場所:小田原城天守閣4階企画展示室
入館料:大人510円、小・中学生200円
《主な展示資料》
小田原城図(文久図など)
二の丸住吉堀、御用米曲輪、八幡山古郭、三の丸武家屋敷、小田原城下、総構(そうがまえ)などの調査写真・出土遺物
◇関連事業【展示解説】
《諏訪間館長による展示解説を行います。》
●12月14日(土)、令和7年1月18日(土)、2月15日(土)
(1)午後1時30分~
(2)午後3時30分~
(各30分程度)
●12月25日(水)、令和7年1月15日(水)、2月12日(水)
午後3時30分~(1日1回30分程度)
※いずれも申込不要(要入館料)、当日直接4階特別展示場へ。
◆〈特別講演会〉小田原城を掘る城郭史研究と考古学
日時:12月1日(日)午前10時25分~午後5時(開場午前10時)
会場:三の丸ホール大ホール
参加費:無料
申込:11月11日(月)午前9時より小田原城ホームページで
《講演タイトル》
▽諏訪間 順(小田原城天守閣館長)
発掘から読み解く小田原城とその城下の変遷
▽佐々木 健策(市文化財課副課長)
小田原北条氏の居館を掘る~御用米曲輪の調査から~
▽竹井 英文さん(東北学院大学教授)
城郭研究の現状と課題〜「杉山城問題」を通して〜
◆特別展の見どころ
御用米曲輪の寛永(かんえい)地震の地割れ
「初期の小田原城は、八幡山にあったのではなく、現在の本丸・二の丸のあたりにあった?」
「寛永地震で小田原が壊滅し、その後、新しく城と城下町が復旧され、今の小田原につながった?」
発掘調査によって解き明かされつつある、いくつもの新しい歴史をぜひご覧ください。
※詳しくは本紙をご覧ください。
問い合わせ:小田原城総合管理事務所
【電話】23-1373
<この記事についてアンケートにご協力ください。>