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よこはま彩(さい)発見vol.17

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神奈川県横浜市

海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ都市横浜。この街の彩りを「よこはま彩発見」としてお届けします。
今回は1月の地震で大きな被害を受けた能登(石川県)と横浜のつながりについてです。

■「能登半島と横浜」
横浜都市発展記念館 主任調査研究員 吉田 律人

2024(令和6)年の元日、能登半島の先端を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、北陸地方は大きな揺れに襲われました。津波が沿岸部を襲っただけでなく、輪島市の中心部では大規模な火災も発生しました。さらに、土砂崩れなどによって孤立する集落もあり、被災地では、現在も不自由な生活を送られている方が多くいらっしゃいます。
横浜から能登半島は遠く離れた場所にありますが、深いつながりがあります。例えば、鶴見区にある曹洞宗の大本山總持寺(そうじじ)は、輪島市門前町(もんぜんまち)に起源があります。また、横浜市内で銭湯を営み、支える人々のルーツも多くが能登半島にありました。
石川県の鹿島郡や羽咋(はくい)郡、七尾市の神社には、「横浜」の文字が刻まれた鳥居や狛犬、灯籠が多くあります。例えば、1923(大正12)年に建立された鹿島郡中能登(なかのと)町の能登比咩(のとひめ)神社の鳥居には、「横濱市福富町一丁目五十一番地 永瀬啓太郎」とあります。永瀬は銭湯で使用するガラス製品を扱う問屋で、その親戚も横浜市内で銭湯を経営していました。横浜で成功した銭湯経営者は、郷里への恩返しとして積極的に寄付を行い、それを見た人々がさらに横浜へ移住するという流れができていました。横浜市民の公衆衛生は能登半島出身者によって支えられていたのです。
1859(安政6)年の開港以降、横浜の地はさまざまな国や地域からの移住者を受け入れることで、コミュニティを構築してきました。能登と横浜のつながりに想いをはせ、横浜から能登の復興を支え、応援していきましょう。

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問合せ:政策経営局広報課
【電話】045-671-2331【FAX】045-661-2351

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