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独自の輝き 横須賀の文化、地域のつながりを支える(1)

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神奈川県 横須賀市

時代が変わりゆく中で変わらぬ思い。気概を持ちながら未来を切り拓く人たち。

■大正10年 創業102年の祭礼衣装専門店4代目を継承予定
みどり屋 山田義明(やまだ よしあき)さん

◇始めは呉服寝具店
創業のきっかけは、もともと愛知県で農家だった曽祖父が日露戦争の兵役で横須賀を訪れたことでした。軍都のにぎわいに魅せられてこの地に移り、呉服や寝具などを扱う商売を始めます。しかし、時代の移り変わりと共に、洋装化が進み、日常的な着物の需要が減っていきました。
父親の代で本格的に店を始めた50年ほど前、市内各地でお祭りの文化が広まりました。お客さんから「これからはお祭りが復活する。もっと品物をそろえた方がいい」とアドバイスをもらい、時期的に取り扱っていた祭礼品を徐々に増やし、現在の祭礼衣装専門店に移り変わりました。

◇町のにおいや文化を感じられる
お祭りの準備を通じ、普段から各地域の色々な人と話す機会が多い山田さん。「この仕事の一番の財産は、お客さんを通して町ごとの土地のにおいや文化を感じ取ることができること」と語ります。お祭りは、数カ月も前から準備が始まります。当日参加できなくても準備に顔を出してくれる人や、外に出られなくてもお囃子(はやし)の音に気付き、家の窓からのぞいてくれる人がたくさんいます。そこから町のみんなの様子や地域の色を感じ取ることができるそうです。

◇大きな力を持つお祭りの魅力
お祭りにはトラブルがつきものです。だからこそ、それを解決する力が地域に根付き、いざというときにも助け合いができる適応能力がつくと言います。近年のコロナ禍では、ウェブでワクチン予約ができない年配の人がいたら近所のできる人が代わりに予約をしてあげたり、感染予防を徹底した上であえてお祭りの練習をすることで活気を取り戻したりと、自助・公助だけではない共助の部分を町全体で作り上げるきっかけになるほど、お祭りの力は大きいそうです。
「20年、30年使ってもらえる祭礼品のデザインを手掛けることは商店としての醍醐味(だいごみ)であり、それと同時に町の話を聞けるこの仕事をやっていてよかったと思う。今後もお祭りを通して人と人の交流の場であり続けたい」と笑顔で語ってくれました。

■明治30年 創業126年の琴・三味線専門店4代目
前田楽器店 前田和憲(まえだ かずのり)さん

◇会社員を辞め三味線作りの世界へ
もともと会社員だった前田さんは、30歳を過ぎた頃「自分で何かやりたい」という気持ちになり、会社を辞め、父親が守り続けてきた琴・三味線作りの世界に飛び込みました。東京で5年間修業を積み、昼間は修行仲間と三味線作り、夜は三味線の稽古に通い、基本的な技術を学びました。三味線の製作や修理は全国的に少ない業種であり、現在も各地域にいる仲間と密に連絡を取り合い、材料について情報交換をしたり、旅行をしたりもするそうです。

◇繊細な工程 お客さんの声がやりがい
三味線は大きく分けると棹(さお)、胴、皮から成ります。棹と胴は外国産の原木を使い、胴に張る皮は、稽古用には犬皮、舞台用には四ツ皮を張ります。棹と胴のバランス、皮の張り具合など、繊細さを要する工程を多彩な道具を使って細工し、良い音色が出せる三味線を作り上げていきます。お客さんから「良い音色が出せました」「気持ち良い演奏ができました」と言われるとやりがいを感じると話します。

◇音色はもとよりお客さんが無事に舞台を終えることが第一
前田さんは、ただ同じ三味線を製作するわけではなく、お客さんに合ったものを製作しています。店で購入した人が舞台や演奏会に出るときは、チケットを買い、ライブ演奏を聴きに行きます。そこでお客さんの弾き方や音色を自分の目と耳で感じ取ることで、その後新しく注文されたときや修理するときに、その人に合った弾きやすい三味線を製作することができるそうです。また、自身が製作した三味線が良い音色が出せるかどうかはもとより、「無事に演奏を終えることが第一に大事。舞台に立つことはすごく緊張するだろうから」とお客さんを温かく見守ります。
最近は和楽器に興味を持つ人が少なくなってきているようで、前田さんは「日々、琴と三味線を身近なものにするにはどうしたらいいのかを考えている」と熱く語ってくれました。

■父親から受け継ぎ約60年 息子と共に宗教用具を製造・修復
八正堂 仏師梶谷 梶谷叡正(かじがや えいしょう)さん

◇修業60年 仕事は今でも「覚えきれない」
父親から「自分と同じ職に就くなら中学を卒業してすぐ修行を始めないと仕事を覚えきれない」と言われ、15歳から弟子入りして仏師の修業を始めました。「経験を重ねた現在でも初めて出会う仏像が多い」と語ります。仏像以外にも、寺の机や道具も全て取り扱う傍ら、父親の代からすでに他の技術の職人もおらず、彫刻、漆塗り、金箔(きんぱく)押し、彩色までの工程全てを一貫して行っているため、現在でも日々学び続けているそうです。

◇仕事が好きだからこそ続けられてきた
父親の代では戦争が始まり、日本中が焼け野原になりました。仏像や寺の修繕は後回しとなり仕事が減った上、東京や横浜にいた仏師職人も地方に疎開したことで、職人の数が一気に減りました。また、近年はコロナ禍の影響で葬式が小規模化し家族葬も多くなったことや、若者の宗教離れ、寺離れが進み、社・寺関係の仕事や長年受け継がれてきた仏像・仏具を将来に残すための修復が減りつつあります。そのためか、再び職人が減り、仏師の職を次世代に残しても職人として成り立つか不安を抱えています。また、現代の労働条件では昔のような徒弟制度は成り立たず、今後を継いでいく人が育ちにくいそうです。その中でも梶谷さんは「この仕事を朝から夜中の2時、3時までやれるということは、好きだからこそできることだと改めて感じる」と笑みを浮かべます。

◇100年前のものを直し次世代につないでいく
芸術家の創作と違い、職業仏師は依頼者の思いを忠実に作り上げる仕事です。気温の管理や木の乾燥具合に細心の注意を払いながら慎重に進めるため、大きいものだと1体作り終えるのに十数年かかる場合があるそうです。その後、完成した仏像は100年ごとに修復を重ね、世代を超えて受け継がれていきます。梶谷さんは「新しい仏像よりも、今、手をかけなければ朽ちていくような仏像を直し続けて一生を終え、次の世代につないでいきたい」と意気込みを語ってくれました。

問合せ:広報課
【電話】822-9815

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