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平和な未来のために

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神奈川県逗子市

2004年、逗子市は核兵器のない平和な世界の実現に向けて努力する、非核平和都市を宣言しました。それから20年、被爆者が減少する中で証言の伝承が課題となっています。おやこ記者として長崎で被爆者の話を聞いた経験のある佐藤さんが、逗子市被爆者の会「つばきの会」の2人に話を聞きました。(本文中敬称略) 

■語り継ぐ被爆証言
・つばきの会 藤原功紹さん
・つばきの会 宮川千恵子さん

▽忘れられない被爆体験
佐藤:お2人とも、幼い頃に広島で被爆されたそうですね。当時のことをお聞かせください。
宮川:私は当時小学校5年生でした。爆心地から少し離れた疎開先にいたため無事でしたが、爆心地近くにいた父と兄からは「大けがをしていても助け合わないといけなかった」と聞きました。翌日からは、疎開先にも爆心地からけが人がたくさん運ばれてきて、学校の教室やお寺が負傷者でいっぱいになったのを覚えています。
藤原:私は、1歳8か月の時に被爆したので直接の記憶はありませんが、両親から「ピカドン」という言葉をよく聞かされました。家族は奇跡的に助かりましたが、近所にはけがをした人もたくさんいて、皆で協力して乗り越えたと聞いています。
佐藤:お2人の体験から、戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて感じます。
宮川:だからこそ、戦争を知らない子どもたちに被爆のつらさや戦争の愚かさを伝えていかなければならないと思い、長年、市内の小中学校で被爆体験を語り継ぐ活動をしています。

▽未来へ伝える平和の言葉
佐藤:私も小学校で宮川さんのお話を聞きました。ずし平和デーでは、みんなの感想文が展示されるんですよね。
宮川:はい。原爆と人間展で展示します。被爆者が当時を描いた絵画も展示しますので、ぜひ足を運んでみてください。若い世代の理解と協力が、平和への願いを引き継ぐために大切なのです。
藤原:戦争の記憶を風化させないため、私たちの体験を伝え続けることが使命だと感じています。皆さんが、平和の尊さについて考えるきっかけにしてほしいです。
佐藤:平和のバトンを、私たちの世代でもしっかりとつないでいきたいと強く思いました。貴重なお話をありがとうございました。

広島・長崎に原子爆弾が投下され、終戦を迎えてから79年が経過します。8月6日、9日、15日には黙とうをお願いします。

■被爆証言を聞いて
佐藤碧衣さん(久木)
私は以前、長崎でも被爆者の方とお話をしました。皆さんとても優しい方々でしたが、核兵器や戦争の話になると「絶対になくさなければいけない!」と強い口調になり、熱意を感じました。これは、それほどつらい経験をし、同じように苦しんだ人を見てきたからだと思います。
戦争を体験した方々がご高齢となった今、私たちは直接お話を聞ける最後の世代です。できるだけたくさんのお話を聞いて、これからの私たちには何ができるのか考えたい、家族や友達にも伝えていきたいと思いました。

問合せ:市民協働課

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