■中国人のサイン「十綱」が記された白磁の壺
今回紹介する資料は、令和4年度に若宮大路周辺遺跡群の発掘調査で出土した、中国産の白磁壺の破片です。壺の底部の破片には、墨で「十綱」と記されていました。これは、鎌倉時代に日本と貿易を行っていた中国(当時は宋)の商人グループのサインと考えられており、鎌倉では初めての出土事例です。
◇日宋貿易の痕跡
当時、船を所有して日宋貿易に従事した宋人は「綱首(こうしゅ)」と呼ばれ、日本の玄関口であった博多を活躍の場所としていました。「綱」とは貿易貨物の輸送単位を示し、「人名」+「綱」で、その貨物の所有者や管理者を示したと考えられています。博多では「綱」が記された陶磁器が多く出土していますが、これまで「十」+「綱」のサインは確認されていないことから、「十」が人名であるか、もしくは「十」は数の単位で「十の荷物」を示すのかは検討が必要です。
また、この資料の出土地点は扇川の左岸で、鎌倉時代中後期の建物跡なども見つかっています。建物との関係は未詳で、この破片と接合できるものも見つかっていません。
◇宋~博多~鎌倉へ 貿易ルートの可能性
この壺は、福建省で生産された白磁壺で、おそらく四耳壺(しじこ)(肩部に紐をかける半環が4カ所ある壺)と考えられます。底の直径は11センチ以上あり、日本に輸入された白磁の中でも、大型の優品であったと推測されます。
さて、「綱」が記された陶磁器は、平安時代末から鎌倉時代初期の博多に集中しており、宋の商人が博多で活動していたことだけでなく、日本と宋の貿易が博多を中心に行われていたことを裏付けています。
今回、博多と同種の資料が鎌倉で出土したことは、日宋貿易の延長線上に、鎌倉があったことの証拠といえます。当然、宋から直接、鎌倉へ貿易船が入港したことも否定できませんが、宋~博多~鎌倉の貿易ルートを示す貴重な資料といえます。
[文化財課]
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