■発掘調査の成果を紹介
3月に『鎌倉の埋蔵文化財27』を刊行しました。この冊子は、市内で行われた発掘調査の概要をカラー写真で紹介しています。今回は、令和4年度に行われた6遺跡を中心に紹介しています。
(1)大倉幕府周辺遺跡群(雪ノ下三丁目)
横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学校の構内です。13世紀中頃に埋没した南北方向の柱列と5個の大型の柱穴が発見されました。それらの西側には道路跡が見つかっており、大倉幕府の跡と推定されている区画の西側に面して門が造られていたことが確認されました。
(2)若宮大路周辺遺跡群(雪ノ下一丁目)
窟堂(いわやどう)の南方約100メートル、扇川の右岸に当たります。鎌倉時代~室町時代の半地下式の建物跡などが発見され、銅製の釘隠(くぎかくし)や蒔絵(まきえ)の蓋(ふた)、装束姿で冠を頭の上にのせ、何かに跨(またが)る木製の男性像などが出土しました。これらの建物が銅細工や漆器制作、彫刻などの作業場として利用されていたことが推定されています。
(3)小町大路東遺跡(大町一丁目)
大町四つ角の北約100メートル、通りの東に面した場所です。凝灰岩(ぎょうかいがん)をたたき固めて造られた鎌倉時代の路面や、幅約1メートルの側溝、平安時代の竪穴住居跡などが発見されました。
(4)若宮大路周辺遺跡群(雪ノ下一丁目)
鶴岡八幡宮の南西約300メートルの場所です。鎌倉時代後半(13世紀後半~14世紀前半)の東西方向の道路と、囲炉裏(いろり)や、土間のように固くなっている跡など、生活の跡が発見されています。
(5)若宮大路周辺遺跡群(御成町)
市立御成小学校の東側隣接地です。弥生時代の壺(つぼ)や甕(かめ)、古墳時代のかまどを持つ竪穴住居跡、鎌倉時代後半の倉庫跡とされる半地下式の竪穴建物が発見されています。
(6)若宮大路周辺遺跡群出土の白磁壺(雪ノ下一丁目)
11世紀末~12世紀前半頃に中国広東省付近で生産されたもので、鎌倉時代からさかのぼる製品です。
『鎌倉の埋蔵文化財27』は、文化財課(第4分庁舎)や鎌倉歴史文化交流館、鎌倉国宝館で無料配布しているほか、市ホームページでも公開しています。
[文化財課]
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