■シリーズ「市内の小学校」(58)
市史編纂室 山田 雄造
◇昭和19年度の勝山町の学校
勝山町役場文書には学事報告が綴じ込まれている。今回はその中から3つの学校について紹介する(表参照)。国民学校から見ていく。初等科は6学年まで高等科は2学年まで在学した。男子校と女子校に分かれたのは明治41年(1908)で、国民学校と名称が変わったのは昭和16年(1941)である。
両校合わせて52学級で生徒数が2736人、今の小学校に当たる初等科だけでも42学級2329人である。この数字はあくまでも勝山町だけの数字である。当時の町の人口は13863人でうち6歳から12歳だけで人口の3分の1を占め、人口ピラミッドで言えば富士山型であったことがわかる。
(表)
18年度高等科卒業生122人について見ると、男子校は就職が60人、青年学校入学41人、満蒙開拓義勇軍6名などである。同じく女子校は青年学校48人、勝山女学校29人、工場22人、農業・他行就職が26人となっている。
勝山高等女学校は前年に実科高等女学校から名称が変わったばかりの学校で2年制であった。98人中の現勝山市域外の出身は1割に満たず3分の2が勝山町であった。戦時中であったためか4月から7月までの期間動員、通年動員が行われた。前者は農村動員で麦手入と刈取、田植、草刈などに延べ2016人、託児所へ396人など、後者は5月から12月まで松文、兄弟会社へ出動とある。
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