■シリーズ「市内の小学校」(59)
市史編纂室 山田 雄造
◇成器南小学校
昭和22年(1947)学校教育法により6・3・3・4制の新学制が発足、同年の教育基本法により男女共学などが規定された。勝山町の成器男子国民学校は成器東小学校に、女子国民学校は成器西小学校と名称が変わった。今回は東小学校(後の成器南小学校)について紹介する。
23年4月勝山高等学校が創設されたことにより校舎は県移管となり東館10教室を借り10学級(518人)と成器西校の一部を借り8学級(482人)計千人の学校となった。外に上芳野区(一本松・暮見含む)の一本松分校に11人が、若猪野分校に34人の生徒が在学していた。しかし後者は同年4月独立校となり若猪野・猪野口・高島(上下高島・北市含む)・猪野・毛屋(下毛屋・猪野毛屋含む)で成器南校と改称された。
東小学校の校区は下元禄1区・同2区・上元禄区・芳野区・片瀬区であったが、23年3月に下元禄2区と芳野区は西小学校に編成替えとなった。24年3月の町議会で東小学校併合の件、成器南小学校位置変更の件、同校若猪野分校場設置の件の3つが可決された。こうして24年4月1日、勝山町立石8番地に新校舎が建築され東小学校の全児童が南小学校に移り入学式を行った。校区も変更され旧猪野瀬村・立石・上元禄・下元禄・上郡町・立川となった。同年中にグラウンド・講堂などが徐々に出来上がっていった。
当校の教育方針は(1)平和文化の向上、(2)美的情操のかん養、(3)自発的学習の重視であった。20年代後半から30年代にかけて在職した当校の中村一郎先生は、新しい美術運動を教育現場において実践した。写真はその指導のもとに昭和31年当時5年生の生徒が描いた作品である。
※詳しくは本紙をご覧ください。
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