■近代福井の観光と城 秋季企画展「ふくい城巡りヒストリア」に寄せて(2)
現在、若狭国吉城歴史資料館では、秋季企画展「ふくい城巡りヒストリア」を開催しています。
本展は、近現代の嶺南を中心に県内の城と観光の歴史を振り返るものですが、11月号では近年の国吉城における取り組みの一部を紹介しました。今月号では、時代を遡って近代、明治時代から昭和時代戦前期における県内の城と観光について紹介します。
江戸時代まで、城は政治・軍事の拠点でしたが、明治時代の廃城令でその役目を終えました。しかし、城跡に官公庁や公園が整備されると、これを核に市街地が形成され、かつての城下町は近代都市へ姿を変えました。そして、城跡に桜が植樹されたり模擬天守閣が建設されたりと、城跡は市民の憩いの場として、また郷土愛醸成の場としての役割を担いました。やがて交通機関が発達し、観光旅行の需要が高まると、城跡は桜の名所として旅行パンフレットに紹介され、多くの人々が見物に訪れるようになりました。
近代の県内における代表的な観光地として、江戸時代までの名所に加え、城跡が挙げられるようになりました。当時のパンフレットには、福井・丸岡・大野・小浜の近世城跡に加え、嶺北では一乗谷城跡や柴田勝家の北庄(きたのしょう)城址(福井市)、嶺南では金ヶ崎・高浜の各城跡等が紹介されています。このうち、すでに紹介した近世の各城跡と一乗谷・金ヶ崎の各城跡は、桜の名所として紹介されました。また、高浜城が築かれた城山とその周辺は、室町幕府三代将軍足利義満も見物したと伝わる「高浜の八穴(やな)」と呼ばれる奇岩を見物できる名所として現在も知られています。
さて、昭和6年(1931)に、県内の史跡・名勝等を紹介した「福井縣史蹟名勝天然紀念物要覧」が発行されました。これに国吉城址も掲載され「濠阯本丸阯(ほりあとほんまるあと)等明瞭にして風景頗(すこぶ)る佳(か)なり」と紹介されました。「濠阯」は城の北に広がっていた機(はたおりのいけ)織池のことで、圃場整備が進む昭和40年代頃までは池のような水田が広がっていました。「本丸阯」が明瞭に見えたのは、当時資源供給のため樹木が伐採され、はげ山に近い景観だったためでしょうか。当時の人々が現在と異なる姿の城址を見物していたと思うと感慨深いものがあります。
本展では、旅行パンフレットや雑誌、絵葉書、お城土産を展示しています。特にお城土産の展示コーナーで足を止め、思い出を懐かしむ方々が数多くいらっしゃいます。
本展は、令和6年1月14日(日)までです。皆さんのご来館をお待ちしています。
(若狭国吉城歴史資料館)
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