■美浜と軽井沢の不思議なご縁(3)~美浜の実業家・山本家の遺産~
若狭国吉城歴史資料館では、10月14日まで北陸新幹線敦賀開業記念企画展(後期)「美浜と軽井沢の不思議なご縁~旧三笠ホテルと美浜の実業家山本家~」を開催しています。
美浜町と新幹線沿線の長野県軽井沢町との歴史が繋いだご縁については、5月号で軽井沢町にある国重要文化財の旧三笠ホテル、7月号ではその創業者で美浜町ゆかりの実業家・山本直良(なおよし)について紹介しました。今月は彼の父で、佐柿に生まれた実業家・山本直成(なおしげ)が故郷に残した遺産や功績についてその一部を紹介します。
これまで当館では、幕末に反乱を起こした水戸浪士(水戸天狗党(てんぐとう))に関連する小浜藩士として、山本直成について調査してきました。江戸幕府に捕らえられた浪士の一部は小浜藩に預けられ、佐柿の准藩士屋敷に収容されました。後に、彼らの身柄が京都で水戸藩の役人に引き渡された際、同行した小浜藩士の一人が山本直成でした。彼は天保9年(1838)、代々下級藩士であった山本仁右衛門(にえもん)家の七代目として生まれました。青年になると尊王論に影響を受けて上京し、小浜藩主・酒井家と強い信頼関係にあった岩倉具視に出会います。
明治維新後、彼は「永久の貸人(かしびと)」として小浜藩から岩倉家に仕え、明治9年(1876)に家令(かれい)に任ぜられると、具視の命により実業家として民間経済の発展に尽くし、十五銀行(三井住友銀行)や日本鉄道、日本郵船などの役員を務めました。また、福井県でも活動し、若狭地方の鉄道敷設を計画した小浜鉄道株式会社の設立に出資しましたが、同社の資金不足により明治33年(1900)に計画は中止されました。
実業家として活躍する一方で、故郷の社会公共事業にも力を注ぎました。明治35年(1902)、日吉神社(佐柿)の拝殿を建立し、また、同37年(1904)までに要道(ようどう)(佐柿)尋常小学校や弥美(耳)尋常高等小学校(河原市)に金700円を寄付したと伝わります(「耳村誌」)。なお、日吉神社拝殿の馬道(めどう)(通路)内部に棟札の所在が確認されています。文字は色褪せていますが、直成の名が見えることから、「耳村誌」が記すとおり、彼が拝殿を建立したことは間違いなさそうです。
後期展示では、町内に残る山本家の遺産や功績に注目します。そして、佐柿に居住していた二つの山本家の関係や、両家の菩提寺である光称寺(佐柿)を通じて、「華麗なる一族」山本家のルーツに迫ります。皆様のご来館をお待ちしています。
(若狭国吉城歴史資料館)
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