―『上岬の文化的景観』編(5)―
E子:今回は梨子ヶ平までやってきました。ここは棚田を水仙畑に転用した「千枚田水仙園」をはじめ、海岸沿いの園地や台地など眺望スポットがたくさんあります。
学K:千枚田は小さな棚田がたくさん集まってできているのですが、江戸時代頃から開墾が行われ、今見ているような形になったと言われています。昭和50年代くらいまでは稲作が行われ、その後、水仙畑に転用された珍しい例で「日本の棚田百選」にも選ばれました。
E子:はじまりは江戸時代ですか!
学K:水仙や他の植物で見えにくいですしコンクリートで補修されているところもありますが、よく見ると土羽と石積みが組み合わされて棚田が作られていることがわかります。
E子:きれいなだけではなく、歴史のある畑なのですね。それにしても田圃を作るのもそうですが、ここまで石を運んで擁壁をつくるのも大変だったのでしょう。現代みたいにトラックや重機なんてない時代ですもの。
学K:そうです。棚田跡の水仙畑はもう一ヶ所血ヶ平集落の近くにもありますが、どちらも大変な労力だったでしょうね。
石積みは棚田の他にも家や水仙畑の基礎としても作られています。眺望スポットの台地の斜面地も、よく見ると擁壁として石積みが作られていますよ。
E子:あんな急な斜面地にどうやって作ったのでしょうか?それ専門の職人にここまできてもらうのも大変なのに。
学K:昔は地域にそれぞれ石工さんがいたそうですよ。
この梨子ヶ平にもいたと言われていましたし、地元では石切り場の跡、と伝えられている場所もあります。ところが今年度、地区の神社で、「上岬の文化的景観」の重要な構成要素である八幡神社を調べたところ、実際に最近まで石工さんがいたことがわかりました。
地元の方に話を聞いたところ、この石工さんはやはり集落の方で、集落だけでなく色々なところで石の仕事をされていたそうです。もちろん石積みを作ったり直したりもしていたそうです。
E子:へえーそんなことがわかったのですか。今まで何気なく見ていたものの歴史がわかるのっておもしろいですね。
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