■『神明ヶ谷須恵器窯』編(2)
E子:こんにちは。
学H:こんにちは。今回も神明ヶ谷須恵器窯跡(しめがたにすえきかまあと)についてみていきましょう。
E子:よろしくお願いします。前回、神明ヶ谷須恵器窯跡は山の斜面を利用して造られたと話していましたが、なぜ窯を山の斜面に造ったのですか?
学H:それは山の斜面を利用することで、平場に造るよりも、窯の壁を作る際などの労力が小さく済むからです。
E子:なるほど!コスト削減ってことですね。
学H:そのとおりです。また、炎は上に燃えていきます。傾斜をつけることで、炎が窯の上方へ向かい、効率よく熱が伝えわります。そうすることで、高温での焼き締めが可能となりました。
E子:それまでは高温での焼き締めはできなかったのですか?
学H:以前のやきものは、「野焼き」といって、地面に浅い竪穴(たてあな)を掘り、七〇〇~八〇〇℃程度の温度で焼かれていました。そのため、割れやすく、水を通しやすい性質でした。一方、窯の中で一〇〇〇℃以上の高温で焼くことで、保水性の高い須恵器を作ることができました。
E子:そうだったのですね。
学H:ところで、焚口の近くにいくつかの穴があるのがわかりますか?
E子:非常にわかりにくいですが、確かに焚口の近くに穴がありますね。これは何の穴ですか?
学H:その穴は小屋の跡です。須恵器を作る際は、4~6日ほどの焼成日数がかかっていたそうです。焼成期間中は窯の様子をずっと見ていなければなりません。雨の中でも火を焚き続けられるように造られたのでしょう。
E子:小屋まであったのですね。須恵器は、小屋の跡から見つかったのですか?
学H:灰や失敗品を捨てる「灰原(はいばら)」や窯の周囲から須恵器が見つかっています。お椀や皿などの日用品、鉢や壺・甕などの貯蔵具などが見つかりました。多くは失敗品でした。
E子:そんなに失敗品が多かったのですか?
学H:発掘調査当時の記録には、リンゴ箱で百箱以上の須恵器の破片が出てきたそうです。
E子:多いですね。須恵器を作るというのはとても大変だったのですね。
学H:そうです。次回も一緒に神明ヶ谷須恵器窯跡についてみていきましょう。
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