■第353回 文化財編(30) ものづくりのまちに光る手仕事の技
ものづくりが盛んな鯖江では、漆器や繊維産業に携わる職人たちの光る技術が脈々と受け継がれ、発展を遂げています。
藍や草木染の縞が素朴な「石田縞」は、耕地が乏しく困窮する者が多いことを嘆いた立待村下石田の富農・高島善左衛門(1775~1849)が、私財を投じて工場を建設し、美濃から職工を招いて製織したことに始まりました。明治30年代には朝日村や吉川村にも生産地が拡大し、丹生郡一帯は綿織物産業の中心地となりました。
廉価な上に丈夫で通気性に優れ、はっきりとした縞模様が特徴の石田縞は、農作業衣や「学校縞」と称された女生徒の制服地のほか、布団地としても愛用されました。最盛期には台湾・朝鮮にまで輸出されましたが、昭和期に入ると恐慌や戦争、他の綿織物の増加と人絹織物への生産転換などで姿を消していきました。
その後、幻となった縞の技術は二人の女性によって復元されます。昭和47年(1972)の立待小学校100周年の記念行事で技が披露されて以降、伝統的な織物は今も地域で大切に受け継がれています。
(文化課 藤田彩)
◇平成20年度指定の市指定文化財
石田縞(技術保持者)
越前漆器(技術保持者)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>