文字サイズ
自治体の皆さまへ

うちらの眼鏡はだてじゃない!(1)

1/42

福井県鯖江市

雪深い農村に仕事を――。一人の住民が立ち上がり、眼鏡作りは始まった。来年で120年を迎える産業の灯。その輝きを支えているのは、だてじゃない志と情熱だ。

■だてじゃない!ポイント(1) 歴史
〔住民の願いから、一大産地へ〕
鉛色の空、吹き付ける寒風、雪に覆われた山や家々――。
幾度となく繰り返されてきた北陸の冬景色を見つめながら、「冬場の農村を何とかしたい」と立ち上がった住民がいました。
増永五左衛門(ござえもん)。文殊山のふもとに位置する地域の豪農に生まれた彼は1905年、私財を投げうって眼鏡づくりを始めました。その熱意はやがて、地域や社会を動かします。
冬場を耐えしのぐ粘り強さに、越前漆器などの伝統工芸をつないできた風土も相まって、眼鏡づくりは進展。戦後の鯖江では払い下げられた旧陸軍連隊の土地に眼鏡関連業者が集まり始め、一大産地化が進んでいきました。
1990年代に入ると、福井県の眼鏡フレーム出荷額は全国シェアで90%を超えるように(国の工業統計より)。200以上の複雑な工程を経て作られる眼鏡は今や、鯖江のトレードマークとなり、市井の人たちから各界の著名人にまで幅広く愛されるようになりました。
歴史に裏打ちされた眼鏡産地の鯖江。オンリーワンのまちが織りなす人間ドラマや産地発展の取り組み、市民の皆さんの表情などを描きます。

■鯖江の先駆者・青山彦左衛門(ひこざえもん)(1879~1961)
〔祖父の記憶を語る孫・恭也さん 青山眼鏡(福井市)会長〕
鯖江で初めて眼鏡作りに取り組んだのは祖父・彦左衛門です。私たち家族は「ひげのじいさん」と呼んでいました。
今の河和田町に生まれたじいさんは好奇心が強くて、やりたいことがあると突っ走る人でした。眼鏡を作ろうと思ったのもそんな性格だったからでしょう。職人の名前などを記した明治41(1908)年当時の貴重な「職工台帳」は今でも残っています。
ただ、じいさんの気難しい性格もあって、どんな思いで眼鏡作りを始めたのかや苦労話は聞けずじまい。生きているうちにもっといろいろなことを聞いておけばよかったなと思いますね。それほどじいさんたちが残したものは大きかったと感じます。
(彦左衛門と職工台帳の写真(本紙参照)は恭也さん提供)

■だてじゃない!ポイント(2) 各種データ
「鯖江の眼鏡ってどれくらいすごいの?」。そんなあなたの疑問にお答えするべく、めがねのまちさばえが秘めたポテンシャルを数字でまとめてみました。
眼鏡フレームの生産では世界のトップ3に入る鯖江。世界最高峰を誇る鯖江の技を日々、現場の職人さんが支えています。
取材にうかがった眼鏡会社の「佐々木セルロイド工業所」(小泉町)の藤本美咲さんは「眼鏡に自社の印を付ける仕上げ作業に携わっています。正確さが求められるところにやりがいを感じます」と語っていました。

◇世界3大産地
イタリア北東部のベッルーノ、中国南東部の近代都市・深(しん)せんに並ぶ世界トップ3の産地といわれています。
※「深せん」の「せん」は環境依存文字のため、かなに置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。

◇国内製造シェア 約9割
眼鏡枠の生産で、国内製造シェアはもちろんNo.1。その知名度から、めがねミュージアムには著名人を含め大勢が来場。

◇工程数 200以上
フレームには金属枠と樹脂枠があり、デザイン、部品製造、組み立てなど多くの工程を経て眼鏡は作られます。

◇北陸新幹線福井開業後の観光客の人数 約1.2倍
めがねミュージアムへの来場者数を2023年3月~5月(37,837人)と2024年3月~5月(44,587人)で比較。めがねフェスや産地開放型のイベントRENEWの開催などで、更なる誘客に期待!

◇従業員数 3,127人(※)
・従業員4人以上の159事業所の従業員数(2021年時点)
・工業関係の従業員数(8,999人)と比較すると、約3人に1人が眼鏡関係!

◇製造品出荷額等429.5億円(※)
全工業製造品の出荷額(1,866億円)の約23%(2021年時点)。
産地内分業が確立された鯖江では、専門性の高い少人数の事業所が高い品質の眼鏡を出荷しています。

(※)「商工業・労働・観光・交通の概要」(令和5年度板)より

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU