■まちの還暦を祝う
昭和28(1953)年9月13日、太宰府町は町制施行61周年を祝う記念式典を挙行しました。このお祝いは、明治21(1888)年の市制・町村制の制定後、明治25年に太宰府町が誕生してから61年が経過したということで、人の還暦になぞらえて企画されました(ただし人の場合は通常数え年で祝いますが)。
この頃は、福岡県で昭和25年から始まる町村合併運動に揺れる時期でもあり、渦中の太宰府町にとっては、町の歩みを振り返る節目として格好の機会だったと思われます。
当時の太宰府公民館報によると、町では9月3日に行事実行委員会を立ち上げ、記念行事のプランニングを行っています。目玉の一つは、それ自体が町発展の試金石となることを目論んだ、工芸品から衣類・食品まで含んだ町内の製造品全てを出品する「産業文化大展示会」の開催でした。これに先立ち、町議会では追加校正予算として記念事業費が承認されます。しかし、この年6月に北部九州を襲った豪雨により太宰府地域も被災。そのため記念事業に組まれた予算は15万円とかなり規模の小さいものでした。町議会で町長も、財政上やむなく留めたと説明しています。祝賀計画がどの程度まで実現できたか詳細はわかりませんが、町の将来を見据えた行事として、町全体で盛り上げようとする雰囲気を感じることはできます。
事業の一環として翌年に刊行された61周年記念誌『太宰府1954』には、記念式典や自治功労者・納税功労者らの表彰の写真が収録されています。記念誌に掲載されたプログラムによると、太宰府天満宮境内に開館したばかりの公民館で開催された記念式典後に太宰府天満宮文書館で祝賀式を行い、午後から会場を再び公民館に戻して各区持ち寄りの演芸会や映写会が行われたようです。また、この日のために用意された慶祝歌(元太宰府天満宮宮司・西高辻信貞(にしたかつじのぶさだ)氏作詞)を歌いながらの、小学校生徒による旗行列も披露されました。昭和30年、太宰府町は水城村と合併、新太宰府町が生まれます。
太宰府市公文書館
藤田(ふじた)理子(まさこ)
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