■文字が残る瓦 ~小正府(こしょうぶ)遺跡で見つかった文字瓦~
現代の瓦は、寺院や民家の屋根に瓦を使用していますが、最初に中国で作られた瓦は、宮殿に使用されたといわれており、その後、寺院にも瓦を葺(ふ)くようになりました。古代の日本でも、役所や宮殿といった公的施設、寺院で使用しています。特に古代大宰府は多くの役所や寺院が集中する場所であり、古くより瓦が数多く出土します。その中に、瓦を作る際に粘土を叩き締める道具に刻まれた文字が瓦に転写されて外側に残ったもの(文字瓦)もあり、これまでに家名や寺院、製作された日付など、さまざまな文字が見つかっています。
令和4年度に調査を行った小正府(こしょうぶ)遺跡(坂本3丁目)では、丘陵の斜面につくられた瓦窯が3基並んで見つかりました。大部分が破壊されていましたが、窯の中には焼く際に失敗した瓦がそのまま残っており、軒瓦や複数の文字瓦が見つかりました。3号窯の中には、「佐」の文字が2種類、「筑」が2種類、「前」、「四王」の文字瓦が、2号窯では「天延三年七月七日」、「佐」「十一」の文字瓦が見つかりました。1・2号窯で出土する「佐」の文字は、瓦製作に従事した職人の集団(佐伯)だとされています。「筑」「前」は「筑前」を省略したもので、筑前国や筑前国分寺を示しているとされます。「四王」はかつて四王寺山にあったとされ、一時は筑前国分寺周辺に移された「四王院(しおういん)(四王寺)」に関係するとされます。「天延三年七月七日」は西暦975年のことで、この瓦が平安時代に作られたことを示しています。
小正府遺跡の瓦窯から出土した瓦に残る文字「佐」に注目して分析すると、文字の特徴から筑前国分寺を中心に瓦を供給していた可能性が高いことがわかりました。この小正府遺跡瓦窯出土「佐」瓦は、大宰府跡や観世音寺境内地の発掘調査でもまとまって出土しており、筑前国分寺だけでなく付近の建物にも瓦を供給したと考えられます。
このように瓦に残る文字は、製作者や瓦の作られた時代、どこで使用するために作られたのかなど、紙に残らない情報を私たちに教えてくれます。
文化財課 福盛 雅久(ふくもり がく)
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