■史跡宝満山下宮礎石(げぐうそせき)跡建物
太宰府市北東部に位置する標高829.6mの史跡宝満山の山中では、発掘調査により3つの礎石建物の遺構が見つかっています。そのうちの1つが、今回紹介する現在の竈門神社の駐車場の上段に位置する下宮礎石跡です。
発掘調査に関しては、平成21年8月号太宰府の文化財291号で紹介しています。さて、この建物は、五間四面の本体正面(西側)に、孫庇(まごひさし)がつく七間堂です。建築的には桁行(けたゆき)七間、梁間(はりま)五間の建物と言います。この孫庇部は、現存する古代~中世建造物の調査事例の類例から、本堂前にある礼拝(らいはい)・読経(どきょう)を行う堂である「礼堂(らいどう)」と考えられており、建物が建築された時期は、出土遺物から考えて12世紀後半~13世紀初頭です。
このような建物の類例として、現存遺構では、奈良県室生寺金堂(むろうじこんどう)、現存遺構の前身形態としての奈良県当麻寺曼荼羅堂(たいまでらまんだらどう)前身堂、発掘調査の遺構として静岡県大知波峠(おおちはとうげ)廃寺、文献史料から知られるものに京都府広隆寺(こうりゅうじ)講堂が挙げられます。
前述の建物群と現地の遺構の状況を検討した山岸常人(やまぎしつねと)氏(京都大学名誉教授)が復元した図面では、身舎(もや)(母屋(おもや))と庇(ひさし)がある本体に、孫庇部分を縋破風(すがりはふ)で付加した構造とし、身舎内部の床束礎石(ゆかつかそせき)の存在から、内陣(ないじん)が板張りで、礼堂も同様に板張りと考えられています。縁は礼堂部分のみと推定・復元されています。桁行23.2m、梁間17.5mの規模の建物は、全国八幡宮総本社として有名な宇佐八幡宮の神宮寺(じんぐうじ)であった宇佐弥勒寺(うさみろくじ)講堂が桁行33m、梁行14mと巨大なものですが、これに次ぐレベルであり、当時の宝満山内寺院の隆盛がうかがえます。この建物は宝満の山中でも最大の規模であり、竈門山寺(大山寺、有智山寺)の中心的な仏堂として、史跡宝満山の中で、とても重要な場所と言えます。
『史跡宝満山保存活用計画』では、この下宮礎石跡について、文化財解説サインの設置、破損土壇の修復(盛土)、礎石の復元、建物範囲の明示などの史跡整備を検討しています。
この地区の活用については、令和3・4年の10月に「竈門キャンドルナイト」と称して、NPO団体によるイベントが行われました。主催者と協議を重ね、下宮礎石跡の意味を理解・配慮して、キャンドルを配置してもらいました。キャンドルに照らされた礎石群はとても綺麗で、史跡活用の新しい形でのイベントでした。今後も史跡を守りながら活用を進めていきます。
文化財課
髙橋 学(たかはし まなぶ)
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