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ふるさと再発見 広川町郷土史研究会

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福岡県広川町

■学校と教育制度の変遷その8
~尋常高等小学校と青年訓練所~

○全国的に小学校の就学率が著しく向上
明治末期以降、小学校の就学率が著しく向上します。
同23年(1890年)の就学率は、男65.1パーセント・女31.1パーセントでした。これが大正6年(1917年)になると、男99.1パーセント・女98.7パーセント(平均98.9パーセント)と、飛躍な増加をみます。
この時期に政府および教育関係者の関心は、教育の内部すなわち、学習指導の改善であったり、学校施設の充実といったことに、焦点がしぼり込まれてきました。
本紙8月号で、日清戦争賠償金を基金とした普通教育振興や、福岡県独自の旌表校(せいひょうこう)制などについて、すでに詳しく述べています。
大正7年(1918年)2月11日、中広川尋常小学校が旌表旗(せいひょうき)を授与され、表彰を受けています。
翌8年4月には、従前の広川高等小学校が廃止されて、各尋常小学校に高等科が設置されることとなります。これを機に、各尋常小学校は校名を改めて、尋常高等小学校となります。
同4月上広川尋常高等小学校を、現在の上広川小学校の場所に移転していますが、このことについては、本紙10月号に詳しく述べていますのでご参照ください。
同15年4月20日、「青年訓練所令」が公布され、これを受けて各尋常高等小学校に、青年訓練所が併設されました。
この青年訓練所とは、小学校卒業後の男子勤労青少年(対象年齢16歳~20歳)を対象とした社会教育機関です。義務制ではありませんし、文部省の管轄下にありながら、軍部の主導によってできたものです。本音は徴兵(ちょうへい)以前の青年に、軍事訓練を課す場を、設けることにあったといってもよいでしょう。

○日中戦争が始まり、教育の場にも戦争の影響が出始める
昭和6年(1931年)9月18日、柳条湖(りゅうじょうこ)(中国東北部)で、関東軍(かんとうぐん)(日本)による満鉄(まんてつ)線路爆破事件をきっかけに起きた満州事変(まんしゅうじへん)、同12年(1937年)7月7日、中国北京(ぺきん)郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で、日中両軍が軍事衝突して日中戦争(にっちゅうせんそう)が始まりました。
このような背景のもと、同10年4月1日には「青年学校令」が公布され、従前の青年訓練所は青年学校となります。この時には、従前からあった「実業補習学校」(明治26年11月22日設置)も、新制度の「青年学校」に統合します。
同14年4月26日には、「青年学校令」の改正があり、それまでと違い義務となります。これを契機に上中下3村立の青年学校が、現在の広川町役場南の富安橋西側(大字新代字深町)に設立されました。
青年学校の本旨は、「男女青年に対しその心身を鍛錬し、徳性を涵養(かんよう)するとともに、職業および実際生活に必要なる知識技能を授け、もって国民たる資質を向上せしむるを目的とす」にありました。

○広川町古墳資料館だより
広川町で直弧文ワークショップを開催した西平孝史さんと九州の古墳研究で著名な髙木恭二さん2人をパネラーに、11月23日(木)(祝)、直弧文研究の新視点となるシンポジウム「直弧文の解体と復元」を実施します。(先着30人)。生涯学習係(【電話】0943-32-0093)へご予約ください。
古墳資料館1階には、西平さん作成の直弧文レプリカを展示。シンポジウムと併せてぜひご覧ください。

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