■学校と教育制度の変遷 その16
~学校2学期制への移行~
○3学期制から2学期制へ
前号では、学校週5日制の完全実施(平成14年)について述べました。
これを受けて論議を呼ぶようになったのが、学期を現行の3学期制から、2学期制に変更してはという問題です。
学校週5日制完全実施によって、さまざまな課題が生じたことも否めません。授業数をいかにして確保するかが最大の課題となりましたし、その一方では「ゆとり教育」という目的と、どう共立させるかという問題意識、あるいは教職員の過重労働の問題も大きく浮上する中で議論され、徐々に広がっていったのが学校2学期制でした。
2学期制とは、1年間を前期と後期の2学期で構成するもので、部活や対外大会なども含めて、全体的に学校教育活動に、「ゆとり」を生み出そうとするものです。
2学期制になると、通知表を出す回数も3回だったのが2回ですむことになり、始業式・終業式の回数も当然に減ります。教職員・児童生徒の双方にとってその分、時間的精神的な余裕が生まれるのは当然でしょう。「学校行事の実施時期などを見直すことで、学校生活に落ち着きのあるリズムが生まれる。ひいては児童生徒も、充実した生活や学習に取り組むことができる」、というのが学校2学期制に移行することの、メリットとして説かれる大きな理由です。
○広川町でも学校2学期制へと移行
本町教育委員会でも、令和4年度から2学期制導入(試行)に取り組み始めます。その結果を検証するために翌5年2月には、保護者・教職員・児童生徒の3者に対して、アンケート調査を実施しました。
これを踏まえて、同年4月1日から小学校・中学校ともに、学校2学期制へ正式に移行することとなりました。
○さいごに
昨年(令和5年)は、下広川小学校にとっては創立150周年という、大きな記念すべき年でした。そのことを期に、広川町での学校や教育制度の変遷など、いま一度明らかにして置きたいとの思いで、これまで16か月にわたって連載してきました。
郷土の学校や教育制度がどのような変遷をたどってきたのかに、想いを馳せていただきたくきっかけになったならと思って、今回をもって1区切りとします。
これから先も時代の変化に伴い、教育制度も変化していくでしょうが、この時点でしっかりと、これまでの150年間を整理し記録として留め置くことは、無駄ではなかろうと思っています。
○広川町古墳資料館だより
写真は一條・森園遺跡出土の弥生土器(甕(かめ))です。土器は、粘土を採取し、形成と調整をして、焼成(しょうせい)という工程でつくられますが、1つの土器からさまざまな情報が得られます。
時期や地域で異なる形や、土器に使用された粘土に入る砂粒の種類、土器表面の仕上げ方法などから、広川町の土器の特徴を知る手がかりが生まれます。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>