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あさくら歴史散歩

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福岡県朝倉市

市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ

■二十二.秋月街道の変遷
長崎街道に主要街道の主役を譲るまで、秋月街道は九州と本州を結ぶ大動脈の役割を果たし、特に北部九州に領地をもっていた藩に利用されていました。肥前佐賀藩の鍋島氏、筑後久留米藩の有馬氏、柳川藩の立花氏、肥後の細川氏など秋月街道を利用した記録が残っています(南九州の諸藩は海路を利用したようです)。鍋島氏や細川氏が秋月街道を利用したのは、不和であった福岡藩領を通過することを憚(はばか)ったためだという説もあります。
秋月藩主となった黒田長興は、入国と同時に城下町や秋月街道の整備に着手します。特に、旧八丁峠を通る道筋は、城下町の中を通過し、眼下に御館を望むことができるため、不敬であるとの理由から、新八丁峠への付け替えが行われたと伝えられます。秋月藩は、街道の整備・修復には細心の注意を払っています。他国の人々も通過するため念入りに維持管理するように命じ、特に八丁峠については、出水期毎に人手を出して手入れをさせています。街道を重視した藩の姿勢がうかがえます。

問合せ:市文化・生涯学習課
【電話】28-7341

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