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歴史探訪 広報あさくら400号記念特集(2)

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福岡県朝倉市

■長興の顕彰と財政再建
長韶は後継ぎの長惺(ながあき)が若くして死去したため、文政13年(1830)土佐藩主山内豊策(とよかず)の五男長元(ながもと)を養子に迎えて10代藩主としました。
長元の時代は天保の大飢饉が起こり、秋月藩内でも疲弊した農民を救うために、諸制度を導入してこれに対応しました。さらに藩財政も一層厳しくなったことで、福岡本藩の援助を受けながら財政の立て直しに向けて歩まねばなりませんでした。このような状況の中で、長元は長舒・長韶同様に文武を奨励し、島原の乱200年祭や秋月の垂裕(すいよう)神社を創建しています。

■幕末の動乱の影響
万延元年(1860)3月、江戸城桜田門外で大老の井伊直弼(なおすけ)が暗殺されました。この歴史の大転換期であった8月に長元は隠居し、子の長義(ながよし)が11代藩主となります。しかし文久2年(1862)に長義は18歳で死去し、次いで弟の長徳(ながのり)が14歳で12代藩主となります。
慶応元年(1865)9月、秋月藩に第二次長州征伐の命が下されると、藩兵300人を参陣させています。慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜(よしのぶ)は大政奉還しましたが、翌年1月に京都の鳥羽・伏見の戦いで敗れると、4月には江戸城を無血開城し、江戸幕府は名実ともに滅亡します。
秋月藩では慶応4年(1868)に藩兵を京都に送っています。しかし鳥羽・伏見の戦いには間に合わず、参陣が遅れた失意のなか天皇御所の警備の任についています。また同年4月に上級武士の子弟でつくる干城隊(かんじょうたい)を設立しましたが、藩主不在で藩政が混乱していたことから、5月には隊士による臼井亘理(わたり)、中島衡平(こうへい)暗殺事件が起きています。
そして明治13年(1880)臼井亘理の子の六郎は、父の敵の一人である干城隊士の山本克己(かつみ)に対して仇討ちを行っています。これは当時日本最後の仇討として広く世間に報道されました。

■明治維新と秋月
明治4年(1871)長徳は秋月藩知事となりますが、同年の廃藩置県の際に免職と東京在住を命じられ、約250年に及ぶ黒田氏の秋月治世は幕を閉じます。
幕末から明治にかけての動乱の時期は、長元から長義、長徳と若い藩主に相次いで交代したことや、織部崩れ以降の福岡本藩の強力な政治的介入の影響で、秋月藩独自の思想で行動ができませんでした。さらに明治新政府では薩摩・長州・土佐・肥前藩による政治体制が作られたことで、秋月藩の士族たちの不満が高まっていきます。
明治9年(1876)10月、熊本で神風連(しんぷうれん)の乱が起こると、秋月でも宮崎車之助(くるまのすけ)、今村百八郎(ひゃくはちろう)、磯淳(あつし)らを中心とする秋月党が決起して豊前豊津に向かいますが、乃木希典(まれすけ)率いる小倉鎮台兵に敗れてしまいます。宮崎・磯ら首謀者は江川で自刃し、今村は捕らえられて乱は鎮圧されました。さらに翌年の西郷隆盛による西南の役が鎮圧されると、士族による反乱は終焉を迎えます。

【参考文献】『甘木市史』上巻甘木市史編さん委員会1982年

■終わりに
筑前秋月の小藩ながら歴史の舞台にいくつもの足跡を残す秋月藩は、まだ知られていない歴史の宝庫といえます。秋月藩成立400年記念事業では令和6年度もさまざまなイベントを企画しています。
今回の特集を機会に秋月の町並みを散策されてみてはいかがでしょうか。

■秋月藩歴代藩主(就任年)
初代 黒田長興(ながおき)(1623)
2代 黒田長重(ながしげ)(1665)
3代 黒田長軌(ながのり)(1710)
4代 黒田長貞(ながさだ)(1715)
5代 黒田長邦(ながくに)(1754)
6代 黒田長恵(ながよし)(1762)
7代 黒田長堅(ながかた)(1774)
8代 黒田長舒(ながのぶ)(1785)
9代 黒田長韶(ながつぐ)(1808)
10代 黒田長元(ながもと)(1830)
11代 黒田長義(ながよし)(1860)
12代 黒田長徳(ながのり)(1862)

■主なできごと
1600年 関ケ原の戦い
1603年 江戸幕府成立
1604年 黒田官兵衛が死去
1607年 秋月に天主堂建立
1623年 長興が秋月藩初代藩主に就任
1624年 長興が秋月へお国入り
1626年 長興が大御所徳川秀忠に謁見
1628年 家老堀平右衛門が失脚
1630年 新八丁峠越えが完成
1634年 将軍徳川家光より朱印状を賜る
1637年 大凉寺創建
1638年 島原の乱へ出兵
1647年 古心寺創建
1665年 長重が江戸城半蔵門の工事を命じられる
1732年 享保の大飢饉
1783年 天明の大飢饉
1785年 長舒が長崎警護番役を命じられる
1790年 秋月藩医緒方春朔が種痘を成功
1793年 緒方春朔が種痘必順弁を著す
1800年 原古処が稽古館の教授に就任
1808年 長韶が長崎警護番役を命じられる
1810年 緒方春朔が死去、秋月目鏡橋が完成
1811年 織部崩れ
1812年 原古処が稽古館の教授を退任、伊能忠敬が秋月藩領を測量、藩校稽古館が閉鎖
1816年 藩校稽古館が福岡藩主導で再開される
1827年 原古処が死去
1832年 秋月封内図が完成
1837年 島原陣図屏風が完成
1853年 ペリーが浦賀に来航
1859年 長元が秋月垂裕明神を祭る
1860年 桜田門外の変
1864年 長徳が御所へ参内
1866年 第二次長州征伐へ出兵
1867年 将軍徳川慶喜の大政奉還
1868年 鳥羽伏見の戦いへ秋月藩兵が出兵、長徳が御所へ参内、秋月で干城隊事件
1869年 戊辰戦争が終結、版籍奉還
1871年 廃藩置県、長徳が秋月県知事就任後、罷免
1874年 佐賀の乱
1876年 廃刀令発布、熊本神風連の乱、秋月の乱
1877年 西南の役
1880年 臼井六郎の仇討ち事件

問合せ:市文化・生涯学習課
【電話】28-7341

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