市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
■二十三.秋月街道の終焉と再生
秋月街道は、江戸時代前期に鍋島氏(佐賀藩)、有馬氏(久留米藩)、細川氏(肥後藩)ら北部九州の諸大名に利用されましたが、福岡本藩との関係が改善した諸藩が長崎街道を利用するようになった結果、主な利用者は、商人や社寺参詣の人々に移っていきます。さらに、明治維新後、参勤交代が廃止され、国道や県道などの新交通網が整備された結果、秋月街道のような山越えの道は寂れていきます。明治以降に導入された軌道や自動車の通行に、急峻(きゅうしゅん)な山道を通る街道が不向きであったことも理由として挙げられます。
秋月を含む朝倉市郡と筑豊・北九州地域を結ぶ幹線は、古処山地に阻まれていましたが、近年、国道322号バイパスおよび令和元年に開通した八丁トンネルは、「令和の秋月街道」となり両地域との交流が活性化することが期待されます。
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