地域で話題になっている人や団体、企業などを紹介するシリーズ。
第33弾は、平和事業実行委員会の柿原さん、田中さんを取材しました。
Interview:
平和事業実行委員会会長 柿原博美さん
前会長 田中千恵子さん
太平洋戦争時代末期、米軍の大刀洗空襲により頓田の森に避難した児童31人が爆死した「頓田の森の悲劇」。
この悲劇を後世へ語り継ぐため、市民平和祭の開催や絵本『シイの木はよみがえった』・『頓田の森戦後70年の記憶』の発行、大刀洗空襲をたどるフィールドワークなど、市内外で平和学習の活動を行う。発足から今年で35年目。
■戦争を知らない世代へ戦争を語り継ぐ
◇「頓田の森の悲劇」
昭和20年3月27日、米軍の大刀洗空襲により、頓田の森の「シイの木」の周りに避難した児童31人が犠牲になった痛ましい悲劇――。
この悲劇を初めて知ったのは昭和56年のこと。一ッ木地区にあった旧甘木中学校の跡地活用の話が出始めたころでした。
太平洋戦争時代、高射砲隊や生徒隊があった旧甘木中学校跡地。戦争の記憶を風化させないため、跡地の一部は一ッ木児童公園として、正門は当時のままの形で残すことになりました。しかし、「頓田の森の悲劇」も後世に語り継ぐべきだと思い、有志たちによる劇をすることに。劇のような芸術的なもので訴えた方が、皆さんの心に響くと考えました。これが、平和事業実行委員会のルーツであり、市民平和祭で劇をするようになった原点です。
◇「シイの木」がつないだ縁
市民平和祭では、子どもたちにも参加してもらい劇をしています。しかし、年々、子どもの参加者は減少。十数年前には開催が危ぶまれるほどでした。「もう劇ができないかもしれない…」。そう思いながら「シイの木」のモニュメント近くを歩いていると、以前の市民平和祭に出演していた子どもと偶然にも再会。高校生になっており、出
演を呼びかけてみると快諾してくれ、周りの友だちにも声をかけてくれました。「シイの木」のモニュメントの下で再会し、無事に市民平和祭を継続できたことに不思議な縁を感じます。その時に出演した高校生たちも大人になり、現在、実行委員会の若手メンバーとして活動を支えてくれています。
これまで、市民平和祭に出演した人は延べ千人以上。舞台に立った子どもたちが、自分に自信を付けていく姿を見てきました。平和への活動はもちろんですが、子どもたちにとっての成長の場も提供していきたいと思っています。
◇戦争を語り継ぐために
私たちの一番の課題は、戦争を知らない語り部をどう育てるか。戦争を経験していない私たちが、戦争を語り継ぐのは難しいことです。どのように伝えたら皆さんの心に響くか、工夫しつつも常に模索しています。一方、聞き手側も、戦争の話を一度聞いただけでは、自分ごととして捉えるのは難しいことでしょう。だからこそ、子どもの頃からの平和学習を繰り返し行い、継続して活動していくことが重要です。そしてこの活動が、次世代の語り部の育成につながることを願っています。
■平和事業実行委員会の催し
『シイの木はよみがえった』
飯田よしひこ/文
別府ひろみ/絵
「悲劇」を題材にした絵本。市内の図書館で読むことができます。
※平和事業実行委員会公式Instagramの詳細は本紙またはPDF版をご覧ください。
■第18回朝倉市民平和祭舞台演劇「晴れのち、ゆめ」
日時:8月4日(日)[開演]13時30分/[開場]13時
場所:ピーポート甘木中ホール
問合せ:市総合政策課
【電話】28-7593
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