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歴史探訪 秋月藩成立から400年―。秋月藩と三名君(1)

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福岡県朝倉市

名君とは「治世において、自ら率先
し優れた業績を残し、後世から範とされる君主」と定義されています。
江戸時代、名君といわれる藩主は、米沢藩の財政を再建した米沢藩9代藩主上杉鷹山(ようざん)ではないでしょうか。「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉で広く海外でも知られています。
その鷹山と秋月藩8代藩主黒田長舒(ながのぶ)は、高鍋藩7代藩主秋月種茂(たねしげ)を介して叔父と甥の関係にありました。長舒は父の種茂や叔父の鷹山の改革を藩政の手本にしたといわれています。
今回は、秋月藩・高鍋藩・米沢藩の係わりや各藩の名君と呼ばれた藩主を紹介します。

■日向高鍋藩第7代藩
主秋月種茂(たねしげ)(1743~1819)
秋月種茂は、寛保3年(1743)に、日向高鍋藩6代藩主秋月種美(たねみつ)の長男として高鍋藩江戸藩邸で誕生しました。
種茂は幼少より聡明(そうめい)で学問を好み、情に深い人柄として知られていました。宝暦6年(1756)に将軍徳川家重(いえしげ)に接見し、従五位下(じゅうごいのげ)山城守(やましろのかみ)に叙任されました。宝暦10年(1760)に父・種美の隠居により家督を継ぐと、翌宝暦11年(1761)に高鍋の地を踏みます。
高鍋に入った種茂は藩政の改革に取り組みます。種茂は「国づくりは人づくり」であるとし、安永7年(1778)に藩校明倫堂(めいりんどう)を創設し教育の土台を築き上げました。種茂は藩校に通える者を武士だけに限らず、農民にも広く門戸を開きました。
この結果、藩の教育水準が高まり、明倫堂出身者により藩政改革が迅速に行われました。幕末には、石井十次(じゅうじ)をはじめとする多くの英傑を生む土壌にもなっています。また、身分が下の者から上の者に進言する存寄(ぞんじより)の制度を導入し、藩政の風通しを良くしました。
福祉の面では、間引き禁止令を出し、3人目の子どもから、1日につき米2合または麦3合を支給しました。各地から優れた産婆を登用し、出生率を高めると同時に、朝鮮人参を栽培し薬として支給するなど公助の土壌を整えました。
新田開発にも積極的に取り組み、ため池や水路の新設を行いました。義倉(ぎそう)を整え籾(もみ)を貯蔵した結果、藩からは一人の餓死者も出なかったといいます。
種茂の数々の善政は、高鍋藩の全盛期を築いたといわれています。領民を思いやる仁の心は、見事に結実し、明倫の教えとして現在まで息づいています。

■出羽米沢藩第9代藩主
上杉治憲(はるのり)(鷹山(ようざん))(1751~1822)
上杉治憲は、寛延4年(1751)に、日向高鍋藩6代藩主秋月種美の次男として高鍋藩江戸藩邸で誕生しました。母は秋月藩4代藩主黒田長貞(ながさだ)の娘・春姫で、母方の祖母・瑞耀院(ずいよういん)(豊姫)は米沢藩4代藩主上杉綱憲(つなのり)の娘になります。
治憲は母の春姫が早世したため、祖母の瑞耀院に育てられます。この縁により、10歳で米沢藩8代藩主上杉重定(しげさだ)の養子となりました。折衷学者細井平洲(へいしゅう)を学問の師と仰ぎ、明和3年(1766)に元服し、勝興(かつおき)と名乗ります。後に将軍徳川家治(いえはる)の一字を譲り受け、治憲と改名し、明和4年(1767)に家督を継ぎました。
米沢藩は、借金の累積が20万両を超え、領地の返納を幕府に申し出ることを考えるほどでした。さらに、幕府へのお手伝い普請や災害復旧などが一層財政を逼ひ
逼迫(ひっぱく)しました。治憲は民をいたわる心で米沢藩の改革に着手します。
治憲は、自ら積極的に倹約に努め、普段着は木綿の衣服、食事は一汁一菜として、自身にかかる費用を大幅に削減しました。経済に詳しい藩士を登用して借金の整理を行い、財政の再建を果たしています。
また、自ら田に鍬(くわ)を入れ農業の振興を図り、灌漑(かんがい)設備を整えた結果、領民は農業に精励し農村は活気づいたといわれています。漆器、絹織物、和紙、縮織(ちぢれおり)などを特産化すると、産業は発展し、藩財政の健全化に寄与しました。
さらに、細井平洲の師事の元、安永5年(1776)に藩校興譲館(こうじょうかん)を再興し、武士、農民問わず、領民に広く学問をする機会を提供し人材育成に努めています。そのほか、間引き禁止令や、飢饉対策のため義倉を設置するなど福祉政策を充実させています。
天明5年(1785)に隠居し、養子の治広に家督と藩主の心得「伝国の辞」を伝えています。また、幕府からも表彰され、老中松平定信には「三百諸侯随一の名君」と言わしめました。
隠居後は出家し名を鷹山として、相談役として藩政に参与しています。

問合せ:市文化・生涯学習課
【電話】28-7341

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