~令和7年11月完成予定 英彦山神宮上宮修復工事~
日本三大修験道場の象徴として英彦山中岳山頂にそびえる天空の正殿、英彦山神宮上宮。「宝殿」と「拝殿」からなる上宮は、皆さんに親しまれ、多くの参拝客や登山客を迎え入れてきました。
英彦山神宮御本社である上宮。現在の社殿は、江戸時代の天保6(1835)年に火災で焼失したことを受け、天保13(1842)年に、佐賀藩主の鍋島斉(なべしまなりまさ)によって再建されました。現在、明治7(1874)年以来、150年ぶりに大規模な修復が行われています。修復前の上宮は英彦山山頂という厳しい自然環境の中、長年の風雨にさらされかなり傷んでおりさらに、平成3年の台風19号により周辺の防風林が倒され、強風に直接さらされるようになり、激しさを増す近年の豪雨も相まって屋根や壁の破損部分が拡大しました。屋根や壁に穴が開くと、そこから風が入りお社の傷みは進行します。英彦山神宮、髙千穂秀敏(たかちほひでとし)宮司は、「屋根は風で吹き飛び、柱は霧によって腐り、床は雨漏りで抜け落ち、いつ倒壊してもおかしくない非常に危険な御姿だった」と話します。
■困難を極める4年がかりの大工事
修復にかかる総事業費は約6億8千万円。「先人たちが守ってきた軌跡をここで絶やすことはできない」と髙千穂宮司は資金に目途がつく前から工事の着工を決意します。
神宮に対する寄付や行政の支援などがあり、国が約4億5千万円、県が約7千万円、町と英彦山神宮がそれぞれ約8千万円を負担して、令和4年9月から4年間にわたる修復工事が始まりました。
■苦渋の決断 登山道を通行止めに
修復工事が行われる英彦山神宮上宮は、登山を楽しむ多くの人が訪れる、標高1188mに位置するため、工事に先立ち、一番の課題となったのが資材の運搬方法でした。トラックなどが通れる道もない山頂のため、英彦山野営場から始まる北西尾根ルートに人や資材を運ぶモノレールを2キロにわたり設置。「上宮参拝者や登山者には非常に申し訳ない」と感じながらも髙千穂宮司は登山者の安全を確保するため、北岳・中岳・南岳の山頂付近の縦走ルートなどの通行止めを行わざるを得ませんでした。
■雨、雪、強風 過酷な環境下での大工事
山頂まで片道1時間かかるモノレールで運べる資材は1回に900kg。工事に携わる職人の移動も含めると、1日3往復が精いっぱいで、モノレールで運べない6mを超える大型資材はヘリコプターで山頂まで運ぶことも決まり、モノレールの設置が完了し、職人と資機材の準備がそろったのは令和5年3月でした。
しかし本格的な工事着工後、山頂という難所では、雪などによる冬季期間の工事中断などさまざまな事案が修復工事の妨げに。さらに国の史跡指定を受けている英彦山では地盤調査を行いながら慎重に工事を進めなければならず、特に基礎部分は沈下したり動いたりしている礎石の強度を一つひとつ確認しながら耐震化を図らなければならないため、修復作業は困難を極めます。
山の天気は変わりやすいと言われますが、英彦山山頂は特に目まぐるしく気象状況が変化します。英彦山中腹の英彦山神宮奉幣殿付近は快晴でも上宮のある山頂付近は雨や霧で視界がゼロになることも。そのような悪条件を克服しながら修復を進めており、現在は宝殿の基礎、屋根、木工事がほぼ完了し、内部の建具工事を残すのみとなっています。傷みの激しかった拝殿は腐食部分の解体工事がほぼ完了し、基礎工事や木工事、屋根工事に取り掛かっています。
10月17日、足場が取り外される直前の宝殿の工事進捗状況を確認した髙千穂宮司は「屋根など外観はきれいに仕上がっている。特に軒下の彫刻の出来はすばらしく、復原できている」と老朽化から朽ち落ちた飾り彫刻の修復の出来に笑みを浮かべていました。
今後は拝殿の修復工事が本格化する上宮工事。「まだあと1年以上、工事はかかります。近年の豪雨に耐え、かつ完成当時の荘厳な上宮の御姿が皆様にお披露目できるよう、全力を尽くします」と髙千穂宮司は本格的な工事に入る拝殿を前に決意を語ってくれました。
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