■直方の炭鉱の歴史
第1回 筑豊炭田と直方
◇直方の歴史上の重大事項その1
直方の古代から現代までの長い歴史を鳥瞰的(ちようかんてき)にとらえた場合、二つの重大な出来事がありました。
最初は江戸時代の初期にこの地に福岡藩の支藩である東蓮寺藩(のち直方藩と改称)が設置され、約百年間にわたり藩主と家臣の武士団、更にその家族が住んでいたという歴史です。
これは筑前国でも福岡藩(現在の福岡市)、秋月藩(現在の朝倉市)、東蓮寺藩・直方藩(現在の直方市)だけにしかない出来事です。
これを記念して昨年は東蓮寺藩誕生四百年記念事業が盛大に開催されました。直方市教育委員会・直方市観光物産振興協会に加えて直方郷土研究会・九州桃山茶陶研究会・古高取を伝える会などの民間文化団体の主催による各種のイベント・講演会・シンポジウムなどが開催されて市民の関心も高く、いずれも盛会に終わりました。
◇直方の歴史上の重大事項その2
もう一つの重大な出来事は明治時代から昭和三十年代までの約百年間続いた炭鉱の時代です。
筑豊炭田は石狩(いしかり)炭田(北海道)・常磐(じょうばん)炭田(福島県・茨城県)、三池(みいけ)炭田(福岡県・熊本県)と並ぶ日本の主力炭田でした。
昭和五十四年(一九七九年)に「直方市史補巻・石炭鉱業編」が独立して刊行されたことが、直方での石炭の重要性を示しています。
◇直方市史・石炭鉱業編の序文から
九州大学の秀村選三教授(日本経済史)が石炭鉱業編に序文を寄稿されていますので、紹介します。
「十九世紀の石炭によって工業化が進められた時代に、もしわが国に石炭が産出していなかったら、後進国日本は果して工業化、近代化を成し得ていたであろうか。また生産力が壊滅状態にあった敗戦国日本を復興させたのも、傾斜生産方式による石炭と鉄鋼の生産復興がなされたからであった。」
「わが国最大の産炭地筑豊炭田の中心的位置にあり、藩政時代から早くも石炭採掘をはじめた直方は石炭とともに盛衰を重ね、日本資本主義の歩みを端的に示す町であった。」
◇写真説明
この写真は「直方名勝 三菱新入五坑」と記された絵葉書で、直方尾島商店が発行したものです。
東京都江東区で直方藩発祥の古武術の双水執流を伝承される臼木良彦氏の直方古写真コレクションです。
多賀神社の現在の駐車場の位置から見た、三菱新入炭鉱第五坑の炭車積込風景で、左手が坑口(市民球場バックネット付近)、奥が新入炭鉱第二坑、右手の丘陵が随専寺、向こうの山並みが六ケ岳です。
明治末期から大正時代の撮影と思われますが、現在では想像もつかない光景が広がっています。
※写真は本紙をご覧ください。
文 榊 正澄
文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
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