■直方の炭鉱の歴史
第3回 筑豊石炭鉱業組合の歴史
筑豊石炭鉱業組合の長い歴史の中での大きな出来事は次の通りです。
○筑豊石炭鉱業組合に改称
前号で紹介しましたが、明治十八年(1885年)に前身の「筑前国豊前国石炭坑業組合」の発足後に名称変更と組織編成の変更を経て明治二六年(1893年)に「筑豊石炭鉱業組合」と改称しました。
○直方会議所の竣工
明治四三年(1910年)に「直方会議所」が竣工しました。現在の直方市石炭記念館本館です。
それまで組合の会議所は石炭積出港の若松市にあった組合事務所などで開催されていましたが、既に鉄道が開通していたとはいえ、筑豊地区の炭鉱経営者が定期的に会合するには遠いために交通の便が良い直方町に設置されました。筑豊石炭鉱業組合関係で現存する唯一の貴重な文化財です。
○筑豊鉱山学校の設立
大正八年(1919年)、鞍手郡頓野村に組合が経営する私立学校として筑豊鉱山学校を設立しました。
筑豊の炭鉱に中堅技術者を供給するのが開校の目的で、校長はじめ優秀な教育者を集め多くの実習設備・機材を確保するなど多額の投資を行い経営しました。
○中小炭鉱団体の分離
独立昭和初期の経済恐慌期に大手炭鉱と中小炭鉱の利害が対立。昭和五年(1930年)に後者が「筑豊石炭鉱業互助会」を結成し、昭和八年(1933年)に組合を離脱しました。その後、前者は昭和九年(1934年)に法人格を取得して「筑豊石炭鉱業会」と改称しました。
○創立五十周年記念式典の開催
昭和十年(1935年)十一月に筑豊鉱山学校を会場として創立五十周年記念式典が多数の来賓を招いて盛大に開催されました。出席者数は四百名におよび、直方駅には二十台の自動車が用意されたとのことです。
記念イベントとして炭鉱関係物品の展示が行われて、九州大学・明治専門学校・爆発予防研究所・理化学研究所・安川電機などが出品しています。
筑豊鉱山学校生徒による模擬採炭実習や、各炭鉱から選抜された救護隊員による模擬救護演習が坑内の練習坑道で行われました。
大天幕の下で行われた祝宴の情景も含めた記録映画が残されDVD化されて貴重な動画を筑豊高校に設置された特別資料室で鑑賞できます。
○戦時統制経済化での解散
先の大戦開戦直前の昭和十六年(1941年)十一月に戦時統制のため「石炭統制会」が発足し、筑豊石炭鉱業会は解散して五六年の歴史に幕を下ろしました。
○遠賀川改修工事への貢献
筑豊石炭鉱業組合の活動については次回で紹介しますが、現在も残されているものとして遠賀川改修工事があり記念碑が建立されました。
文 榊 正澄
文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
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