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文化薫道(ぶんかくんどう) 〜文化の風が吹くまち ちくしの〜

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福岡県筑紫野市

■其の九十五
海外(かいがい)へ輸出(ゆしゅつ)された生糸(きいと)
大正時代から昭和の初めにかけて、筑紫野は生糸の一大産地でした。このころ、生糸は日本の主要な輸出品で、現在の歴史博物館や生涯学習センターが建つ辺りには、長野県に本社を持つ「山十組」の巨大製糸場がありました。敷地内にはいくつもの工場が建ち並び、工女らが生活するための食堂や寄宿舎なども設けられていました。
このことによって、筑紫野周辺でも養蚕がますます盛んに行われるようになり、当時はあちこちに桑畑が広がる風景が見られたといいます。二日市には、地方からの繭がたくさん集まってきました。近くには九州鉄道の二日市停車場があり、交通の便が良い好立地も大きく影響し、二日市の町がにぎわいを見せていたようです。ピーク時には、1000人超えともいわれる工女たちが就労していました。
全国で作られた生糸は、国内で一度横浜に集められ、海外へ輸出されていきました。その際に、各工場で生糸の束に、生糸商標(シルクラベル)がつけられていました。「二日市製糸所」のラベルのデザインは長らく不明でしたが、平成29(2017)年の調査で、横浜開港資料館に収蔵されていたことが判明しました。
そのラベルには、生産時期や等級が表記されており、きめ細やかな品質管理がなされていたことが分かります。また、このラベルは製品を識別するために、石板印刷の高度な技術による、繊細で美しいデザインが用いられています。このラベルをつけ、生糸は海外へ向けて、二日市から旅立っていきました。

問合せ:文化財課

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