■「TUNAGU II」とは
人と人、心と心をつなぐ、世界とつなぐ―人権尊重のまちづくりの一環として、さまざまな人権問題について市民の皆さんと共に考えます。
■はらわたに響(ひび)いた太鼓(たいこ)
そのだ ひさこ
昨年の秋、筑紫野市のある子ども会の子どもまつりが開催されるお知らせをいただいて、いそいそ出かけた。ここ数年、コロナでさまざまな催し・行事が中止をよぎなくされてきたので、4年ぶりの開催だった。
この子どもまつりは、小中学生の子どもたちの太鼓演奏、劇、意見発表やアピールなどが行われるステージが中心だった。その周りでは、瀬戸物や古着、高齢者の人たちが作成した網籠、手提げ、木のいすなどがバザーで売られていた。もちろん、会場にはおいしいおにぎりや焼きそばのにおいも。ただ、今年は野外の催しは一切なく、施設の広間だけに限定されていた。
子どもまつりは子どもの司会でさわやかに始まった。オープニングは小中学生7人の太鼓演奏だった。太鼓の音は壁に、床に、天井に、会場いっぱいに響きわたり、やがて、ズドンズドンドドドドドンとはらわたに響いてきた。大地の「いのち」の始まりのような、地から湧いてくるような音。いつまでも体内に響き、胸が熱くこみ上げた。
世界のあちこちにいろいろな太鼓はあるが、私は和太鼓が大好きだ。我が家には、博多の筥崎宮の太鼓をつくった名人の名が書かれた古い太鼓がある。江戸時代、過酷な差別を受けていたある被差別の「むら」の太鼓名人の太鼓である。著名な歴史書にもその名前は記されている。
また、この夏は阿蘇の広大な草原のなかで太鼓のプロ集団「TAO」の演奏を聴いた。大学の人権の講義では太鼓のライブを聞かせた。
和太鼓や命を守ってきた鎧兜や、蹴鞠、靴だけでなく、実は農作業にも柔らかい革靴は貴重な履物だった。
日本は、かつての欧米のような自分で飼育し、屠殺し、解体し、食する牧畜文化の国ではなく、米づくりを中心とした農耕文化の国だった。農耕に使われた牛馬が命を終えた時、その処理は被差別部落の人々の役目とされていた。部落差別がつくられた理不尽な理由の一つはここにある。
生活に必要なすばらしい皮革を作りつづけてきた人々は、歴史的には数百年にわたり差別されてきた。だが、日本中のお祭りに太鼓の無いものはない。
■思いをのせた太鼓の演奏
子どもまつりでは、保護者の太鼓演奏も披露されました。子どもたちをステージに立たせるだけでなく、自らも演奏し、子どもたちを支えていくこと。そして、自分たちも理不尽なことに対して立ち向かっていくことを表明した演奏でした。
今まで、憤まんやるかたないさまざまなことがありました。時には涙を流し声を震わせ、お互いを支え合いながら自分たちの気持ちを表現してきた保護者。今回それらのことを深く胸に秘め、堂々と演奏した姿は多くの人の胸を打ちました。
問合せ:教育政策課
<この記事についてアンケートにご協力ください。>