■其の百二
日本遺産の世界 in 筑紫野
古代都市(こだいとし)の痕跡(こんせき)
大宰府条坊跡(だざいふじょうぼうあと)
筑紫野市の二日市八幡宮付近から北側は、古代大宰府に関連して都市整備がされていました。いわゆる条坊といわれるものです。中国(唐)の都城をモデルにして造られた平城京を参考にしており、中央大通りと碁盤目状の都市整備がされるという特徴があり、地方官衙(かんが)の中では、古代大宰府のみに造られました。
大宰府条坊では、中央北端に政治の中枢である政庁が置かれ、政庁から南に真っすぐ伸びた幅約36mの推定朱雀大路を中心として碁盤目状の区画がなされ、その規模は、南北約2km、東西約1・8kmにわたっていました。
条坊内には、各種の役所をはじめ官人の宅地、外国使節の応対をする客館、住民が住む区画などが存在したことが、これまでの発掘調査などによって判明しています。
市内でも推定朱雀大路や碁盤目状の区画の一部と考えられる遺構が発見されています。
大宰府条坊が整備され千年以上がたちますが、現在の道や土地の境界には、碁盤目状の区画の一部が残る場所があり、歴史の名残を感じることができます。街の姿は時代を経て変化しましたが、私たちの生活の一部として現在も息づいています。
日本遺産の詳細は、ホームページにて閲覧できます。
日本遺産「古代日本の「西の都」」ホームぺージは本紙記載の二次元コードからご覧ください。
問合せ:文化財課
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