■其の百四
日本遺産の世界 in 筑紫野
古代(こだい)の宝満山(ほうまんざん)
毎日多くの登山者でにぎわう宝満山は、同時に古くから祈りの山、信仰の場であり、九州を代表する霊山としても知られています。
山頂周辺の巨大な岩の近くには、奈良時代にはじまった祭祀(さいし)の跡が残っており、さまざまなモノが見つかっています。
なかでも、日本ではじめて釉薬(ゆうやく)を塗った奈良三彩(ならさんさい)の壺や律令国家が発行した日本最古期の貨幣である皇朝銭(こうちょうせん)といった、主に都周辺で作られた品物があることから、その祭祀は中央政府による国家的なものだと考えられます。
では、このような祭祀は何のために行われたのでしょうか。宝満山と共通点の多い祭祀遺跡が、玄界灘に浮かぶ孤島・沖ノ島(宗像市)にあります。九州と朝鮮半島の中間という島の位置から、航海の安全や交流の成功を祈ったものといわれています。
国家的事業で大陸への航海といえば、遣唐使の派遣が思い浮かびます。宝満山での国家的祭祀の終わりは、遣唐使が停止される時期と重なることからも、山頂でも祭祀の目的は、遣唐使の無事を祈ったものと考えられています。
では、なぜ宝満山だったのでしょうか。長く大陸との交流拠点であった大宰府や博多湾に近く、かつ玄界灘の先にある大陸を望むことができる「場」だったことが、その原因ではないでしょうか。
※日本遺産の詳細は、ホームページにて閲覧できます。
問合せ:文化財課
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