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文化薫道(ぶんかくんどう) 〜文化の風が吹くまち ちくしの〜

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福岡県筑紫野市

■其の百五
日本遺産の世界 in 筑紫野
万葉歌(まんようか)をよみとく

今よりは 城山の道はさぶしけむ 我が通はむと 思ひしものを
『万葉集』巻四 五七六
(訳)今からは城山(きやま)の道はきっと寂しく思われることだろう。私が通って行こうと思っていたのに。(『新日本古典文学大系1』より)

これは、筑後国府(久留米市)の長官を務めていた葛井連大成(ふじいのむらじおおなり)が、大宰府の長官であった大伴旅人が昇進して都へ帰京した後に、旅人を思って詠んだ歌です。大成は、旅人の邸宅で開催された梅花(ばいか)の宴にも出席しており、そこでも歌を残しています。
この万葉歌が詠まれた奈良時代には、都と地方を結ぶ古代官道が整備され、九州にも、各地の国府から大宰府を目指して官道が伸びていました。この歌に詠まれた「城山の道」は、その官道のうちの一つだったと考えられます。
「城山」とは、大宰府の南の守り、基肄城(きいじょう)がある、現在の基山を指していると思われます。「城山の道」は、城山の東の麓を通り、肥前国(佐賀県)と筑前国(福岡県)の境にある両国峠を越え、市内萩原へ抜ける山道であったと考えられています。
大成は、大宰府に旅人がいなくなってしまった悲しさと峠越えの山道を通る寂しさを、この歌に重ね詠んだのでしょう。万葉歌は、文学的に作者の心の内を感じることができるだけでなく、歌を詠んだ場所や風景などもあわせてみることで、より深くその意味を感じ取ることができるようです。

問合せ:文化財課

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