■第一四五回仏鉢形土器(ぶっぱつがたどき)の世界
船迫窯跡で焼かれた焼き物は瓦や坏(つき)が中心ですが、中にはとても珍しい土器も焼かれています。今回はその中から仏鉢形土器をご紹介します。
◇仏鉢形土器とは?
仏鉢は古代のお寺などから発見される器で、僧侶の托鉢(たくはつ)や神仏への供養具として使用されたと考えられています。東大寺や東寺でも発見されています。僧侶の規則や作法を記した『十誦律(じゅうじゅりつ)』には、「仏は二種類の鉢を使うことを許す、瓦鉢と鉄鉢なり」と材質に関する規定があります。ここでいう「瓦鉢」にあたるものが仏鉢形土器と呼ばれる物です。船迫窯跡で発見された土器は、こうした決まりに沿って作られていることがわかります。
また、十三世紀ごろ成立の『彦山流記(ひこさんるき)』には興味深い伝承が残っています。「むかし、静暹(じょうせん)というお坊さんが窟にこもって修行しており、修行中に仏鉢を空に飛ばして托鉢を行っていた。あるとき、門司関に飛んで行った鉢は、停泊していた船に食料を乞うが、船頭ににべもなく断られてしまう。それに腹を立てた鉢が去っていくと、船内の米俵が鉢を追って皆飛んで行ってしまった。船頭は慌てて米俵を追っていくと、ある山へ至り、そこでは鉢が「無慈悲な行いをするな」と静暹から叱りを受けているところであった。これに感嘆した船頭は米をすべて寄進し、自身も弟子入りした。このときの米俵を収めるための蔵が蔵持山(みやこ町)の由来である」というものです。「飛鉢譚(ひはつたん)」と呼ばれるこの種の説話は、『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』や、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』など全国各地に見られ、仏鉢が験力、法力と呼ばれるような不思議な力を象徴する仏具でもあったことが伺えます。
◇どこで使用されていたか?
築上町が所在する豊前国では、椿市廃寺(行橋市)や法鏡寺廃寺(宇佐市)など、やはり寺院より多く出土しています。また、豊前国ではありませんが、英彦山南麓にあたる東峰村の岩屋神社や、大宰府市にまたがる宝満山では、発掘調査によって仏鉢形土器が出土しています。船迫窯跡で出土した土器も、豊前国の僧侶が寺院ないし山での修行や祭祀で使用するために注文した物かもしれません。この土器は船迫窯跡体験学習館に常設展示してあります。ぜひ一度ご覧ください。
(文化財保護係 矢野一喜)
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