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寒田にある被爆エノキ二世を 知っていますか(1)

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福岡県築上町

■寒田にある被爆エノキ二世を 知っていますか
旧寒田小学校の敷地内にそっとたたずむエノキの木。エノキは暑い季節によく葉を茂らせ、漢字では夏の木と書きます。ただ、ここにあるエノキはふつうの木ではありません。「被爆エノキ二世」と寒田のかつての子どもたちとのストーリーをご紹介します。

◇被爆した母なるエノキ
79年前の8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。爆心地から北に約1kmの広島第2陸軍病院は全病棟が倒壊・全焼し、患者や医師など約1千人が死傷しました。中庭には幹回り約2・5mのエノキがあり、建物と同様に原爆の熱線に焼かれ、幹に大きな空洞ができてしまいました。この木こそが母なるエノキ、被爆エノキです。

◇被爆エノキと基町(もとまち)小学校
一時は炭のようになっていた被爆エノキ。多くの木は枯れましたが、奇跡的にこの木は生き返ったのです。その生命力に感動した地元の広島市立基町小学校の児童たちが昭和55年頃から世話を始めます。児童たちは被爆エノキの生命を長らえさせようと懸命に世話をし、その活動を通して被爆エノキは原爆の悲劇を児童たちに伝えました。その後2度の台風で枝や幹が折れながらも被爆エノキは辛うじて命をつないでいました。

◇旧寒田小学校の「山の子」活動
毎日新聞に掲載された進さん(当時寒田小在籍職員)の寄稿文によると、昭和62年に「豊かな自然に恵まれながら、自然のこと、寒田のことを子どもたちが知らな過ぎる」ということから、旧寒田小学校*の「山の子」活動が始まりました。活動では全校児童を縦割りの班に分け、自然の中へ出かけます。急斜面な寒田の山登りをしたり植物を採ってきて塩漬けやお茶にしたり。自然に目を向けるこの活動は、あらゆる命を大切に思う心を育みました。
※寒田小学校は平成16年に閉校

◇基町小学校と旧寒田小学校
昭和63年、旧寒田小学校の広島への修学旅行で基町小学校との交流会が計画されます。旧寒田小学校の児童たちは事前学習をして、被爆エノキにささげる歌「エノキさんの歌―平和への誓い―」を作り、交流会に臨みました。歌には人間の作った原爆で傷つき、大火事や台風で幹が折れながらも生き続けるエノキへの感動と平和への誓いが込められています。「山の子」活動で自然の命に触れ、それぞれが生きていることを実感してきた子どもたちの思いが言葉になり、歌声になりました。このとき旧寒田小学校の5、6年生は初めて被爆エノキに会います。
交流会で朽ち果てた被爆エノキが切られてしまう計画があることを知った旧寒田小の子どもたち。全校で「被爆エノキを切らないで」という作文やポスターを作り、広島市長に届けました。その取組は新聞にも取り上げられ、保存運動が広がるきっかけとなります。その甲斐もあり、被爆エノキは保存されることになりました。以来旧寒田小の児童は2年に1度の修学旅行で被爆エノキを訪れ、平和への誓いを新たにします。残念なことに被爆エノキは平成元年に枯死してしまいましたが、周りに実生の苗木が育っており、うち1本が基町小学校内に植樹されました。

◇旧寒田小学校と福田安次さん
広島市宇品(うじな)で被爆し、平和活動をしていた福田安次さんがこのような旧寒田小の取組を知ります。福田さんは広島市から委託され、被爆エノキ由来の若木たちを、熱心に取り組んでいる交流校に送り始めているところでした。こうして平成5年、福田さんから「平和のシンボルとして子どもたちに受け継いでもらいたい」との思いとともに、エノキ二世は遠く離れた寒田の地に託されることになります。
旧寒田小学校のエノキ二世は命を引き継ぎ、植樹後31年をむかえた今も大きく成長しています。

■ひろしまのエノキ二世マップ
※詳しくは本紙をご覧ください。
資料提供:長崎源之助追悼展実行委員会

■福田安次さんの体験
原爆投下時刻、福田さんは爆心地から4.5kmの場所にいた。青白い閃光を浴び、顔面熱い。防空壕に入ると同時にすさまじい爆発音が。事務所の窓ガラスは全部破損した。その後伝令「特殊爆弾により市中心部の部隊は全滅。残るは宇品の隊のみ。動ける自動車・船舶を総動員して救援に当たるべし」。宇品の陸軍船舶部隊にいた福田さんの任務は市内からトラックで運ばれてくる被爆者を船で似島(にのしま)の検疫所に運ぶことだった。みな一様に手のひらを上にし、両手を差し出していた。顔も唇もふくれてまるでお化けの様相、そのうえ全裸だった。積んで運び降ろす作業を3日ほどくり返し、約1万人の人が運ばれたがそのほとんどが亡くなったと聞いた。特に疎開作業に動員されていた中学生が多かったことが強く印象に残っている。
(平成12年5月寒田小の修学旅行福田さんの証言を基に記載)
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福田さんは「苦しむ子どもたちに何もしてやれなかった」という思いが湧き、「数百年生きる樹木に平和の願いを託そう」と被爆エノキ二世を贈り続けました。
※福田さんは平成27年(2015年)に91歳で永眠されています。

■広島市長にあてた手紙
※詳しくは本紙をご覧ください。

■旧寒田小などの活動は絵本にもなっています
自らも戦争を経験した長崎源之助さん著『ひろしまのエノキ』(童心社1988)では被爆エノキとそれを守る基町小学校の児童が描かれています。『平和の木』(童心社1990)では被爆エノキを中心に平和と命を見守る人々の出会いがつづられました。

■エノキさんの歌
-平和への誓い-
作詞・作曲 寒田小学校
※詳しくは本紙をご覧ください。

この特集の内容は、北日本新聞(H28.8)、読売・朝日・西日本新聞(H5.3.19)、毎日新聞連載『「山の子」と子どもたち』(進かおりさん執筆(H2.11.6-12.19))ほか寒田小学校周年行事実行委員会の有田利昭さんがまとめられた資料を参考に掲載しています。

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