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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆Vol.14 行橋のバス交通
戦前の行橋における交通手段は、徒歩はもちろんのこと、鉄道、当時「乗合自動車」と呼ばれたバス・タクシーをはじめ、自転車、人力車、客馬車などがありました。自動車は高級品であったため、自家用に用いられた自動車はほんのわずかでした。
時代が大正から昭和に移り変わる頃に、自転車が広く普及しだし、人の輸送手段としては人力車や客馬車に代わって、ガソリンを燃料とするバス・タクシーが営業を開始します。今回は行橋におけるバス交通のあゆみについて見ていきます。

◇1930年頃/昭和初期 今井渡橋を渡ったバス
行橋を最初に走ったバスの記録は残っていませんが、昭和2年(1927)に行橋―帆柱(現在のみやこ町犀川帆柱)間に「藤川バス」が営業していました。この頃の行橋のバスはすべて個人経営で、自動車はフォードやビュイックなどの外国車。行橋から蓑島や今元、延永へ向かう便もありました。昭和10年(1935)、法人組織の豊前バス組合が設立、翌年には株式会社へと改組します。また行橋には他地域のバス会社の営業所もおかれ、小倉や中津行などの定期便が運行していました。

◇2024年/令和6年 今井渡橋を渡った太陽交通バス
戦後、行橋には駅前に西鉄バスの発着所があり、京都郡内をはじめ、北九州や中津方面、筑豊地域への定期バス路線が延びていました。しかしながら、昭和40年代から急速に自家用車が普及し、バスの利用者が減少。このことで経営の見直しなどが進み、西鉄もローカル線を子会社化、昭和62年(1987)に京築交通(株)を設立します。時代が平成に移っても乗客の減少は続き、平成10年(1998)からは赤字路線に行政の補助金が充てられるようになりましたが、平成14年に制度変更により国・県の補助金が停止、赤字路線は廃線となりました。これに代わって乗合バス事業の規制緩和でタクシー事業者による運行が可能となり、太陽交通(株)が乗合タクシー事業を開始。現在バス事業部により運営されている「太陽交通バス」は、地域にとって重要な公共交通機関の1つです。

「地域の公共交通」は持続可能な地域づくりのための重要な資源の1つですが、少子高齢化・人口減少時代を迎えた現在、それを取り巻く環境は大変厳しい状況にあります。特に過疎地を含む地方圏では、高齢者の自動車運転免許返納による、いわゆる「買物難民」の発生などが社会問題となっており、地域の公共交通サービスの活性化・再生は喫緊の課題です。

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