2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
◆~Vol.15 蓑島海水浴場
蓑島はその名が示すように、昔は湾入していた京都平野の入口に浮かぶ周囲約3kmの島でしたが、大正元年(1912)に文久海岸と橋で結ばれ、戦後の干拓により陸続きとなりました。市街地からは、島がなだらかな3つの山からなる姿が見えるため、「三つ島」と呼ばれていたのが「蓑島」の地名の起源と伝わります。
現在は古き良き姿を残す漁師町ですが、架橋され行橋からの定期バスも運行するようになった昭和初期頃には、「地蔵岬」や「天神の浜」など蓑島の景勝地を写した絵ハガキも発行されているように、この地域を代表する観光地として大盛況であったと言われています。
◇1932年/昭和7年 大賑わいの蓑島海水浴場
蓑島の東にある天神ヶ浜には、椎田の綱敷天満宮と同じように、学問の神様・菅原道真公の故事に由来する菅原神社が鎮座し、現在春には市内有数のマテ貝掘りスポットとして多くの潮干狩り客であふれています。
昭和初期には観光地化していたこともあり、市内随一の海水浴場として大変な賑わいをみせていました。現在の「望海荘」の位置に「梅乃家」があり、軒を連ねて「天神屋」や「蓑島潮湯」とよばれる海水を沸かした風呂屋などがありました。
・(本紙写真)蓑島の東端の菅原神社あたりから西を写したもの。奥の山並は蓑島の東の山の裾。天神ヶ浜は遠浅で、夏は多くの海水浴客で賑わった。中央にみえる橋げたは飛込台。
◇2024年/令和6年 蓑島海水浴場と広がる周防灘
戦後、高度経済成長期を迎えクルマ社会になると、より利便性が良い長井浜に市内随一の座を明け渡すこととなりましたが、「錦海荘」「門」「周防館」など活魚を看板メニューとした料理屋が軒を連ね、夏は京築地方を代表する海水浴場として盛況を博しました。
現在はコロナ禍を契機に「海開き」は行われなくなりましたが、地域の人々が海水浴客を迎えるために定期的に清掃活動に取り組んでいます。
・(本紙写真)蓑島の3つの山のうち、東の山全体を写したもの。水平線上には対岸の山口県の山陽小野田市、宇部市がかすかに見える。
今月15日は「海の日」です。元々は明治天皇の由緒に基づく記念日でしたが、平成7年(1995)より国民の祝日となりました。「海の恵みに感謝する」海洋国・日本ならではの祝日といえます。一方、海や川でのレジャーで水に親しむ機会が増えることから、例年多くの水の事故が報道され始めるのもこの時期です。「立入禁止」の場所には近づかない、大人は子どもから目を離さない、泳ぐときはライフジャケットを着用するなど、水の事故を未然に防ぐ対策をしっかりするようにしましょう。
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