■170年前の地球儀
▽令和5年度第2回企画展 市柳熊坂家の至宝
12/25(月)まで
伊達市保原歴史文化資料館
伊達市保原歴史文化資料館で開催中の企画展では、江戸後期に活躍した保原出身の絵師・熊坂適山(てきざん)と、蘭学者・医家の熊坂蘭斎(らんさい)の兄弟に関するさまざまな資料を展示しています。今回は蘭斎の足跡と珍しい地球儀を紹介します。
蘭斎は、寛政11(1799)年に伊達郡市柳村(現在の保原町)に生まれました。実兄の適山は、絵師(南画(なんが))として著名です。父傳右衛門(でんうえもん)は、子供たちに対して大変教育熱心でした。
蘭斎は、はじめ江戸で漢方医学を学び、その後蘭学を学びました。オランダ語に造詣が深く、オランダ語の文法書を翻訳した『和蘭文典前編(おらんだぶんてんぜんぺん)』を天保11(1840)年に出版しました。
江戸時代後期からペリー来航以降の幕末にかけて、日本は混沌とした社会を迎え、各藩では多くの蘭学者を藩士として召し抱えました。適山が絵師として松前藩に迎えられ、蘭斎は嘉永5(1852)年に松前藩の藩医となりました。これは蘭学を通して身に付けた外国情勢や知識を藩政に活かすためと考えられます。
展示中の地球儀は、1852年頃のイギリス製です。日本に現存する地球儀でも最古の部類に入ると考えられます。携帯用で、折りたたむことができます。中央に70cm余の鉄の軸があり、周囲の8本の金属の骨を開くと球形の地球儀になります。ちょうど雨傘の構造と似ています。この地球儀から、蘭斎は遠くイギリスの情報を得ていたことがわかります。
※10月号17〜18行目に誤りがありました。天正30年と記載しましたが、正しくは天正18年です。訂正してお詫び申し上げます。
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