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地域の魅力 ふる里再発見

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福島県伊達市

■第2回企画展案内
〜歴史的な絆を、ゆかりの古文書類から読み解く〜

伊達市(旧梁川町)と北海道松前町は姉妹都市になって40周年を迎えます。
松前藩と梁川の関わりは二度あります。最初は文化4年(1807)~文政4年(1821)、松前藩国替えの時代です。
18世紀後半、帝政ロシアの南下政策が活発になります。その為、19世紀初頭には、幕府の蝦夷地防衛策が強化され、文化4年(1807)、蝦夷地全域が幕府領となりました。広大な蝦夷地を松前藩だけで統治することは困難だったのです。松前藩は幕府から伊達郡(梁川村など、6村)、上野国(こうずけ)(群馬県)・常陸国(ひたちのくに)(茨城県)に1万8千石余を与えられ、梁川に政庁を置きました。国替え生活はロシアの南下政策が後退するまで、14年間にもおよびました。家老蠣崎波響(かきざきはきょう)は松前復領に感謝して、梁川天神社境内に石灯籠(伊達市指定文化財)を奉納しています。
二度目は安政2年(1855)~明治4年(1871)松前藩分領の時代です。
安政元年(1854)、幕府はペリーと日米和親条約を締結し、下田・箱館が開港になりました。同2年、幕府は高まる外圧に備えて、松前氏の居城周辺を除き、蝦夷地を再び直轄支配地にしました。替地は伊達郡・出羽国村山郡東根(山形県東根市)の村々3万石余でした。明治2年(1869)、松前藩は館藩(たてはん)に改称。6村は館藩分領となりました。同4年(1871)、廃藩置県により館藩は館県となり、その後、分領は弘前県、青森県、福島県(中通り)、二本松県に引き継がれ、同9年(1876)、現行の福島県に統合されました。

▽令和6年度第2回企画展 ~姉妹都市協定締結40周年記念~
令和6年10月12日(土)〜令和7年1月27日(月)
伊達市保原歴史文化資料館

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