■伝えられた蝦夷錦(えぞにしき)
松前藩とアイヌの人びととの交易品に、蝦夷錦(えぞにしき)があります。紺色・赤色・緑色の緞子(どんす)仕立ての上質な絹織物に、金糸・銀糸などで、雲龍(うんりゅう)(雲に乗って昇天する龍)や牡丹の文様を織り出したものです。本来は、中国清朝高官が着用した官服です。満州(まんしゅう)・間宮(まみや)海峡・樺太(からふと)を経て、蝦夷地に渡り、日本にもたらされ、遠方から渡来した官服は蝦夷錦と呼ばれるようになりました。高級品の蝦夷錦は、陣羽織・袈裟・座布団などに、転用されました。松前藩は江戸幕府にも献上したとも伝えられています。アイヌとの交易品には、鮭・昆布・毛皮・鷲の羽などがありますが、最も珍重されたのは、蝦夷錦でした。
梁川の興国寺は曹洞宗の古刹(こさつ)です。同寺は寺宝として、「松前家寄進蝦夷錦打敷」一枚を保管しています。打敷(うちしき)(装飾用に敷く布地)に転用されているため、官服の面影はありませんが、赤色の絹織物に、雲龍文様が織り込まれています。この文様から、蝦夷錦の背面であることが解ります。頭部の角二本、鱗で覆われた背中、くねらせた胴体など、卓越した技巧の、絢爛豪華な蝦夷錦です。
文化4年(1807)、松前藩は梁川に国替えになります。同9年(1812)藩主章広(あきひろ)の息女、露姫(つゆひめ)が死去し、同寺境内に埋葬されました。寺宝の蝦夷錦は、仏前供養として奉納された露姫の遺品と伝えられています(『梁川町史』10)。昭和60年(1985)に梁川町指定文化財となり、現在は伊達市指定文化財になっています。「松前家寄進蝦夷錦打敷」は、伊達市と松前町をつなぐ重要な文化財です。
▽令和6年度第2回企画展 ~姉妹都市協定締結40周年記念~
令和7年1月27日(月)まで
伊達市保原歴史文化資料館
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