■『蚕種銘鑑(たねめいかん)』と伊達の蚕種屋(たねや)さん
中井閑民(なかいかんみん)は文化十年(1813)梁川に生まれました。江戸時代末期の伊達郡には、蚕種(たね)(蚕の卵)を製造販売する蚕種屋(たねや)が数多く存在していました。閑民は万延元年(1860)に『蚕種銘鑑(たねめいかん)』を発刊し、郡内の優良蚕種銘柄と蚕種屋を紹介しています。
閑民は同書発刊の目的を、序文で、次のように述べています。
『伊達郡は蚕糸業に最適な土地柄であり、昔から優良蚕種を製造してきた。遠方の諸国から多数の蚕種買付け商人が来訪している。「悪種」(粗悪蚕種)を製造販売する蚕種屋の存在は、長年の憂いになっていた。そこで、「善種」(優良蚕種)の銘柄を掲載した、世間の人々が必要とする蚕種屋の名簿を発刊することにした。』
その序文によれば、同書は蚕種屋と来訪する蚕種買付け商人のために、発刊されたことが分かります。
梁川村では、石井仙蔵(いしいせんぞう)・関東屋清左衛門(かんとうやせいざえもん)・大竹惣兵衛(おおたけそうべい)・中村屋佐平治(なかむらやさへいじ)など51家が「善種」銘柄とともに掲載されています。伏黒村では、佐藤与惣左衛門(さとうよそうざえもん)・佐藤孫左衛門(さとうまござえもん)・小野五兵衛(おのごへい)・宍戸藤作(ししどとうさく)など27家です。
口絵には、蚕種屋の居間が描かれています。蚕種紙(蚕種を産み付けた厚手の和紙)を挟んで、主人と蚕種買付け商人が商談中です。主人の背後には蚕種紙を釣るして置く蚕種紙掛けがあります。
安政六年(1859)横浜が開港し、大量の蚕種・生糸が欧米に輸出されました。慶応三年(1867)閑民は蚕種輸出のために、滞在していた横浜で逝去しました。
◇令和6年度第1回企画展 伊達のお蚕用具展
9月23日(月・祝)まで
伊達市保原歴史文化資料館
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