■現代に残る 江戸時代の繭
かつて伊達地方周辺は、優良な蚕種(さんしゅ) (蚕の卵)を製造する地域として有名で、安永2(1773)年には、幕府より全国で唯一「蚕種本場」の称号を許されました。蚕種製造業を営む蚕種屋(たねや)さんは、毎年その年の出来の良い繭をサンプルとして残し、「繭見本」にしていました。伊達市には、梁川町の蚕種屋中村佐平治(なかむらさへいじ)家の寛政4(1792)年から昭和55 (1980)年までの百年以上にわたる繭見本や、伏黒の蚕種屋佐藤與惣左衛門(さとうよそうざえもん)家の江戸時代の繭見本が残されており、いずれも国の重要有形民俗文化財指定となっています。
このうち佐藤與惣左衛門家の繭見本は、明治時代に共進会(きょうしんかい)(品評会)へ出品するために、古くは宝暦2(1752)年より安政5(1858)年の繭を、その時代の養蚕や繭の市場、天気、相場などの記述を添えて3つに分けて額装したものです。なかでも宝暦2年の繭は、日本に現存する最古の部類に入るといわれています。福島蚕業学校(現・福島明成高校)の初代校長で、蚕の遺伝学でも有名な外山亀太郎(とやまかめたろう)氏は、当時この繭を見て、「全国一の古い繭」と賞賛しました。
また、それぞれの繭に添えられた墨書も資料的価値の高い内容となっています。安永3(1774)年の繭には、蚕種本場として課せられた運上(うんじょう)(税)の記述がみられます。
この繭見本は、伊達市保原歴史文化資料館にて開催中の企画展「伊達のお蚕用具展」にて展示しています。
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