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おしえて博物館-五十五-

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福島県南相馬市

『原町村、最初の議会と予算』

明治22年(1889)、南新田(みなみにいだ)村・桜井村・上渋佐村・下渋佐村が合併し、人口2579人の「原町村」が誕生しました(初代村長は馬場勝之進(ばばかつのしん))。同時に、議員12人で構成される原町村会が成立します。
この原町村会で決議された条例第1号は「行方郡原町村長及助役条例」で、村長と助役を有給とする条例でした。当時、村長と助役は名誉職でしたが、職務に必要な実費や勤務に相当する報酬は認められていて、条例の規定によって有給とすることができました。
ちなみに、この時の原町村の村長の給料は月10円、助役は月8円です。
そして、予算規模683円26銭6厘という、明治22年度歳入出予算が編成されました。この予算書には、予算の積算根拠が記されていて、当時の原町村の実情を読み取ることができます。
明治22年度の歳出予算の大半を占める約651円が職員の給料や需用費(備品費や消耗品費など)、修繕費などの役場費で、このなかには役場借地料6円68銭4厘と役場買上費100円が計上されています。
この当時、村の施設は少なく、役場は民家を借り上げていたため(現在の原町区本町)、独立した役場を買い上げようとしていたことが分かります。
また、伝染病予防費として石炭酸(せきたんさん)およびアルコール買上代2円が計上されています。石炭酸には消毒・殺菌効果があるとされ、コレラ対策としてトイレや下水の消毒用に使用されていたようです。
コレラをはじめとした伝染病が流行すると、大きな被害をもたらすことから、その対策は必須でした。
このように、議会の会議録や予算書には、各時代の状況や特徴、地域の課題などが反映され、それらを解決しようとした試みを読み取ることができます。

問合せ:市博物館
【電話】23-6421

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