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町長コラム 真(ま)こらむ第39回

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福島県国見町

■おめでとう国を見晴るかす町ー記念式典式辞(1)ー
私たちの国見町は今年、町村合併から70年を迎えました。これは国、福島県、近隣の市町、この地に暮らした先達の方々、そして今をこの地に生きる皆さんが、国見町を思う心で力を尽くされてきた果実と、改めて敬意と感謝をお伝えし、共に喜びを分かち合いたいと思います。
縄文・弥生の時代からこの地に暮らした人たちの足跡を知ることができる国見町は、平安末期、政治の中枢が公家から武家へと大転換する奥州合戦の最後の舞台となりました。その際に奥州平泉・藤原泰衡が築いた阿津賀志山防塁は、国の史跡に指定されるとともに、福岡・元寇防塁、水城防塁と併せ、日本三大防塁の一つに挙げられます。時が移ろい江戸時代には、松尾芭蕉が曾良と共に「路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と記した奥の細道・奥州街道や伊達政宗に嫁ぐ愛姫が通った羽州街道が参勤交代の主要道となり、藤田、貝田、小坂の宿場が形成、産業では養蚕が盛んに営まれ、江戸後期には幕府から「蚕種本場」の称号が与えられ、後のこの地域の養蚕業、蚕糸業の礎となりました。
これらが明治20年の鉄道開通を後押しし、藤田と貝田の2つの駅の開設に繋がり、東京をはじめとする遠方の文化、嗜好、流行を取り入れる環境を整えました。これは、国見町の人々が新しいことを躊躇せず柔軟に受け入れる気質に通ずるものと思います。明治22年に17の村が合併し、藤田村、小坂村、森江野村、大木戸村、大枝村ができ、大正4年には藤田村が藤田町になり、長く、それぞれの町村が独自の施政を展開しました。(抜粋次号に続く)
引地真

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