地域おこし協力隊 松尾 悠亮
◆小中津川名主家文書の紹介(5)『公私摘要』の紹介〔壱〕
今回から4回にわたり『公私摘要(こうしてきよう)』という明治時代に書かれた昭和村の記録を紹介していきます。
1.『公私摘要』について
全六冊。タテ280mm×ヨコ170mm。それぞれ第壱號~第六號の朱書が表紙にあります。第壱號(戊辰、初遍)・第弐號(戊辰、中遍)・第三號(戊辰后、下編)は、それぞれ表紙が柿渋紙で、水色の紙が題箋として貼られています。第四號~六號は、白い厚紙が表紙で、紙に直接「公私摘要」の題が書かれています。
特に、第壱~三號は、戊辰戦争の史料として、馬場勇伍氏(『乱雲戊辰の晩秋』)・星甚恵氏(「栗城義綱「公私摘要初編」について」)・吉田有子氏(『会津野尻組の戊辰戦争』)によって紹介されたことがあります。
第壱號の見返し部分に書かれた序に「事變萬集公私録ト題ス」と書かれています。この序は×が書かれ、さらに紙が貼られており消されていますが、当初は「公私摘要」ではなく「事變萬集公私録」を題としようとしていたようです。
『公私摘要』の編者(書いた人)は、第壱~三號までは、栗城義綱(濱三)で、第四號以降は不明です。義綱は明治32年(1899)4月に亡くなったため、第六號に書かれた義和団事件(明治33)・日露戦争(明治37~38)・義綱長男小太郎の北海道移住(明治42)の記事は、義綱以外の人物(おそらく小太郎)が書いたと思われます。
内容は、来月以降詳しく紹介しますが、代官・会津藩・明治政府からの触・法令といった公的な文書の写しが中心で、幕末から明治42年までの昭和村(野尻組)・小中津川で起こった出来事がよく分かります。
2.栗城義綱について
『公私摘要』の第壱から三號は、小中津川の栗城義綱(濱三)という人物が書きました。今回『公私摘要』と一緒に寄贈していただいた系図書(和紙にペン書き)には次のように書かれています。
一八 義綱
小右衛門知義ノ長男トシテ天保十年十月二十三日生ル、
当村栗城新吾二女ツルヲ妻トス、
十八才ニシテ名主ノ職ヲ奉ズ、
明治戊辰戦ニ依リ新政府樹立御一新ニテ種々改革ニ遭遇ス、
明治ニ至リ戸長・用係・什長・野尻村初代村長奉職ス
明治三十二年四月十日
積功院大圓義綱居士
※読点を適宜加えた
義綱について、からむし工芸博物館元職員の吉田有子氏が詳細に調査されました。詳しくは『会津野尻組の戊辰戦争』(からむし工芸博物館)をご覧ください。〔続〕
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。
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