菅家 博昭(大岐)
◆出雲の杵築(きつき)大社
2024年3月11日午後2時46分。レンタカーのNHKラジオでサイレン音の中継を聞いた。あの2011年3月11日、東日本大震災の発災時刻に流されたものである。私は、島根県出雲市の出雲大社の隣、島根県立古代出雲歴史博物館の駐車場に入る直前の国道431号線走行中のことだった。
出雲大社は明治時代になってからの呼称であり、古代から近世まではずっと「杵築(きつき)大社」と呼ばれていたこともはじめて知った。博物館を視察後に訪問した出雲大社の社務所は日の丸の国旗を半旗としていた。
この日は、早朝に経済連経営の切り花市場を見学。その後、島根県農業技術センターを訪問し、隠岐の島と山陰海岸にしか生息しないトラノオの日本固有種であるトウテイランの研究を教わりに行った。5年ほどまえから私は大岐の露地圃場でトウテイラン10株を栽培している。またトラノオの仲間(ベロニカ5品種)も切り花生産の主力となっている。この10年間、東京都内での花の研究会でご一緒した研究者が島根県の担当者で、今回訪問した。
試験場のほか、案内されカーネーション農家の直売所や、令和2年の日本農業賞を受賞した島根県アジサイ研究会の常松会長さん宅を訪問。島根県のオリジナル品種のアジサイ(銀河、万華鏡、美雲、茜雲)を15名で生産しており、アジサイを母の日の花とした実力ある団体である(平成22年結成)。そして昭和59年(1984)夏7月に、弥生時代の青銅剣が358本出土した荒神谷遺跡等を見てから出雲大社に向かった。
この歴史の大発見のニュースは、昭和花き研究会が設立された1984年の7月である。草花栽培・かすみ草栽培をはじめた翌年で、記憶に残っている。40年前のことである。
さて、縄文時代と弥生時代は、鉄器(青銅器も含め)の使用が中心となることで石器時代と鉄器時代を分ける。
現在の研究では、鉄器そのものは当初大陸から輸入されたものが使用され、それらは、工作具としての利用が主だった。つまり動物の骨を加工する用具、木製品を加工する用具としてのものであった。それが木製の道具の先に斧先や鍬先を装着する鉄の農具等になっていった(「鉄からみた弥生時代の日本海交易」『考古学ジャーナル766号』2022年)。
金山町中川の弥生時代の宮崎遺跡から出土した管玉等は、現在の石川県小松市や佐渡島で加工されたものである。そして会津盆地には会津縦貫北道路建設に際して調査された塩川の荒屋敷遺跡、湯川村桜町遺跡、舘ノ内遺跡で弥生時代の方形周溝墓が確認されている。塩川町の芳賀英一さんに、出雲の弥生時代の四隅突出型墳丘墓について聞くと、出雲の渡辺貞幸先生は舘ノ内の調査の時、現地に来られてるようで、会津では、出雲の影響と判断するのは現状では、難しいとしている。渡辺先生は『出雲王と四隅突出型墳丘墓 西谷古墳群』(新泉社、2018年)の57ページで舘ノ内1号墓について出雲の影響を書いている。
私は出雲の西谷古墳群も訪ね、そして広島県三次市の風土記の丘の類例の遺跡も見た。広く日本海側の影響を受ける越後・会津の影響下に、古代稲作の石川県の気多大社の影響下に小中津川の気多神社もあるのだろうと考えている。昭和村ではいちばん古く水田等が拓かれた場所が小中津川や大芦の大向(弥生時代の遺跡がある)と考えられる。
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