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【連載】昭和村の歴史と文化~第16回~

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福島県昭和村

菅家 博昭(大岐)

◆5月18日、片手間農普及会(草花栽培研究会)
◇内山節の半市場経済論
群馬県上野村と東京の二地域居住を一九七〇年代から行っている哲学者の内山節氏(一九五〇年生)。昭和村にも来村されたことがあり、南会津町伊南地区青柳での講演を私は大芦の佐藤孝雄氏・野尻の小林弥吉氏とともに新鳥居峠を越えて行き聞いたことがある。
「仕事と稼(かせ)ぎ」の労働過程論研究者として有名である。上野村に暮らしはじめ、村人の労働がふたつに分かれていることに気づいた。ひとつは村の早朝の草刈りや用水路管理などの共同作業・無償の行為は「仕事」で、義務であった。一方、生活を成り立たせなければならない村内外の企業等に勤務し収入を得る行為は「稼ぎ」として、これは時代変化に対応していた。
姫田忠義氏らが記録した映画『越後奥三面 山に生かされた日々』(民族文化映像研究所、一九八四年)を見ても、集落を取り囲む小さな道路の補修を含め、村の維持の一年間の無償の行為が記録されている。本映画はデジタルリマスターし再発売することを記念して、四月下旬に東京東中野で一般館での上映が行われた。
私はこの新潟県の三面(みおもて)に周東一也氏に同行し二度訪ねたことがある。一九八四年の映画完成後は上映会が昭和村公民館で開催された。ちょうど私が葉タバコ栽培からカスミソウを含む草花栽培に転換した年である。一九八五年に葉タバコを扱う日本専売公社がJTに社名変更した(国鉄はJR、電電公社はNTTと民営化)。あれから40年経過した。
姫田氏は昭和村の大芦で苧(からむし)の栽培を、小野川字大岐でヲ(アサ)の最後の栽培を記録した。なぜそのようにしたかは、同じ農家が異なるふたつの繊維植物を栽培している事実の重みをはじめて知ったからで、同じような道具建てで異なる植物から繊維を取り出す作業を、一人の人間が行っているということを伝えたかったのだ。つまり自ら着用し暮らしで使う繊維にはヲを。苧は村外に販売するもの、つまり稼ぎの植物という意味を持っていたため、村内での加工・織りがとても少なかった。暮らしを支える現金経済は苧で、自らの身体にまとう衣となるものはヲを活用した。
内山節氏は編著『半市場経済 成長だけではない「共創社会」の時代』(角川新書、二〇一五年)で、「社会性をもたない経済、社会性をもたない労働、社会性をもたない個人の誕生は人間たちを幸せにはしていない」ということから、「経済が独自の論理で展開している以上、経済は根源的な社会性を保持していない」とする。経済が経済以外のものと結びついて展開するかたちを見つけ出すことが必要な時代になっているとし、経済の展開と社会の創造が一体化しうる経済のかたちとして「半市場経済」を提案している。
経済は何のためにあるのかと考えることが経済倫理の追究、経済と社会、文化などが一体的に展開することをもう一度検討しなおしていく。
4月20日、金山町で草花栽培研究会が、赤坂憲雄氏・菅家博昭の対談2の前に開催され、オヤマボクチ(ごんぼっぱ)の栽培の提案を私が行った。15名の参加があった。
5月18日(土)午前9時から10時、草花栽培研究会を主催するが、これは片手間農のススメで、農家ではない人、農家でも草花生産をしていない人向けのワークショップ(講座・体験会)で、どなたでも参加できる。村に自生する植物の栽培化を検討する。喰丸小の一階右奥の会議室で開催される。これが終了し10時半から正午まで赤坂憲雄氏と菅家博昭(私)の対談3が開催される。これは奥会津書房・会津学研究会の共催で、参加無料。毎回30名ほどの参加者がある。人間と植物の関係性について民俗学的立場での議論が行われている。半市場経済…つまり片手間農で、直売所や卸売市場に植物(野の花・枝物)を少量出すという社会との関わり方で、土地と人間、消費社会とを連関する試みである。

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