菅家 博昭(大岐)
◆富山県のワレモコウ「かぐや姫」
越中(えっちゅう)というのは、現在の富山県のことで、古代からの日本の中心地であった畿内(奈良京都大阪)からみて越前・越中・越後で北陸は越(こし)の国と呼ばれていた名残である。
「越中富山の薬売り」は江戸時代から現在も、配置薬の商いで奥会津の各集落を歩いている。なじみのある音韻が「越中」である。
私は炭焼きや葉たばこ栽培のなか、1983年から切り花の栽培をはじめているが、当時、歩いていた時代の喰丸峠はまだ生きており、そこから大岐地区では虎男さんがワレモコウの種実を採取し苗を育て畑での生産をはじめていた。オミナエシやワレモコウは草原にまだ多くあった時代のことである。虎男さんは浜通りから奥会津に炭焼き仕事で来られていた人の一人で、戦後、多くの炭焼き職人がいた。大岐の女性と結婚して土地の人となったが、やはり青少年期から山中で暮らした自然観には優れたものがあった。
奥会津では、こうした野山の種実を栽培化した人たちが多くいる。植物と会話ができる人たちであった。ワレモコウはウドンコ病にかかりやすく課題があった。
ワレモコウは長野県飯山市常磐の梨元茂さんらと、山形県山辺町作谷沢が日本の生産の中心であり、6月13日に我が家の岩下露地草花圃場と川前水田で栽培している「かぐや姫」を見に来られた。山辺町高原花卉園芸組合を地域で結成しており、かすみ草の栽培もされていたが現在は露地草花である。ワレモコウも6月下旬から11月まで品種を継いで出荷している。この産地を作ったのは山形県の花の普及員である渡辺喜一先生(昭和9年生、90才)で、先生も14名の来村者のなかにおられた。同夜にしらかば荘で草花栽培研究会(会津田島の湯田浩仁・江美さん、菅家)の4人と懇談の場があった。
生産者らは喜一先生と呼んでおり、たいへん長い挨拶をされた。喜一先生が当時、長野県佐久市の種苗商からリンゴ箱2つの根を購入し、作谷沢の畑に植えつけた。雑誌等で長野県内では水田転作作物としてワレモコウが奨励されていたのだ、という。
それらの根から抽台した植物の種実を採取し蒔いて、選択していった、という。
さて、私は5月13日に富山県小院瀬見の堀宗夫さんの要請で、カラムシ調査をした(広報しょうわ6月号)が、その翌日、小矢部市の松井秀明さん(75才)を訪ねた。我が家で栽培している耐病性ワレモコウ「かぐや姫」を育成された方である。どのように耐病性ワレモコウを育成されたのかを詳しく聞いた。訪問自体も予約しないで行ったのだが快く応じていただいた。
2020年4月、名古屋の福花園種苗から「かぐや姫」の根が100本届いた。4万円であった。これを境ノ沢の畑に植えたところ、初年、2年目には収穫が可能で、うどんこ病に罹患しなかった。その後、同量を購入し2022年5月に川前の水田転作で植えたところ、罹病せず、2023年に収穫できた。その成果を作谷沢の皆さんが視察に来られたのである。
また、6月27日には会津田島の湯田浩仁さんの露地草花圃場の視察に群馬県六合(くに)地区の露地草花生産者21名が来られ、同夜、東山温泉の東鳳での懇談会にも参加した。翌28日午前、我が家の岩下圃場を視察された。このなかに「かぐや姫」を栽培されている生産者が1名おられた。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>